最近のくだもの

この前、誕生日を迎えた後輩と「30歳」について話していたのだが、
「朝起きたら、心当たりがないのに、なぜか枕が濡れている」
とか
「ついでに、なぜか目の周りが涙らしき跡でカピカピだ」とか、そういうことしか思いつかなかった。


まぁ、過ぎてしまえば一瞬。といえば収まりも良いのだろうが、
今の自分を見ると当時の自分に謝りたくなる。すまん。
ただ、大して良いこともなかったから、許せ。


それが将来の自分だと思うと気の毒だが、まぁいいだろう。自分だし。
大体、誕生日と誕生日前日の間には一秒間くらいしかないのだから、その間になにものかになれ、と言われても不都合だ。


ならば、25歳から30歳にかけてゆっくりと「30歳」になる努力をしたかといえば、そんなことはなかった。
うん、なかった。断言できよう。
せいぜい、鯖の本数を数えるくらいで、遠くを見ながら「30歳延期のお知らせ」が到着するを待っていたような気がする。
しかし、それは届かなかった。


年をとるのはイヤだ。
若いことの楽しみを味わう前に、いつのまにかもう若いという年ではなくなってしまった。
このままいけば、もう若くないという年の楽しみを味わう前に、年寄りになるだろう。
年寄株なら欲しいが、年寄りはいらない。というか、いらない、と言われる側になってしまう。


良い年寄りなれれば別だろうが、兆しは見られない。
だとすれば、このままむざむざと年を重ねるわけにはいかないのだ。
なんだか、こんなことを書いている内に腰が曲ってきたような気がする。
焦る。


大体、年をとってからの楽しみというのは、なんだか苦い感じがしてしまうのだが、どうだろうか。
まだケーキを食べたいお年頃なのだが。


35から40歳といえば、人間として充実している時期なんだろうと思う。
ぎりぎり体も動くし、経験値も増えているのだから。
ということは、なんでも腐りかけがおいしい、というわけで、そろそろ腐って落ちて、種とならなければならない時期も近いというわけだ。


そん時に、なにか種らしきものが残せれば親から遺伝子をもらった意味もあろうというものだが。
どんな形にしてもね。うーむ、兆しは見られない。


結局その後輩には、「30歳になるのは止めておけ」と的確なアドバイスをしたのだが、「もう遅いです」と一蹴された。
それでは、後悔にうずもれながらも、そこから首を突き出してなんとか生きていかねばなるまい。
お気の毒にと、隣に埋もれながら思う。