・名前の出る仕事以外はするべきではない話。

今、東急の東横店南館で催事をやっていて(宣伝)、3日目が終わり、これから4日目が始まろうとしています。売り上げに関してはいつもの低空飛行で、初日から反省し、「毎年同じこと言ってるね」と指摘され、もうほんとにそうだなと思う。
「金額が気にならない」というのは、私の古本屋としての欠点の最たるもので、職業人としてこれは本当に良くない。と思うものの、自分で本を書くわけでもなく、版元を利用するわけでもなく、ただ人様から個人的に分けてもらった本に定価と違う値札を張って「プロでござい」とは何事だ。
と、反射的に言いそうになります。まぁこれは冗談なのだけれど、口に出して言うと冗談と取ってもらえないのが、私の残念な人望。これは身から出た錆ですね。私は、古本屋の店員さんでもあったことがあるので、「プロの本屋」と「プロ風の本屋」の違いには目が利くんだけどな。
と古本屋の悪口ばかり言って終わるのものなんなので、なぜ私が安定した店員生活を捨てて、独立した古本屋になったかを書いておきましょうか。ある日ふと分かったのは、「自分の名前でする仕事以外はするべきではないな」ということでした。


店員さん時代の私は、それはもうのうのうと、ゆったりと、スピードは無いながらも丁寧に、巡る時の管理人さんであるかのように、仕事をする人間でした。そんな生活に疑問を持つこともなく、いつもニコニコしながら、はいはいと毎日を過ごしていたのでした。
ある時、ふと学生時代の友人と一緒に食事をすることになりました。もう30歳になろうとしていた時ですから、二人とももう大人といえば大人です。そこで、その友人は一生懸命自分の今している仕事の話をしてくれました。何かのイベントがあるとかいう話だったと思います。
彼は、その裏方として一生懸命準備に奔走し、機材を手配し、イベントの内容を精査し、休みの日にも出社してその仕事が上手く行くよう、力を尽くしているということでした。うんうん、そのイベントが出来るのは本当に君の努力のおかげだね、と私は思いました。
そして私はつい聞いてしまったのです。彼ほどの努力をしたのだから、当然だと思ってしまったのです。「それで、そのイベントでは君の名前はどこにクレジットされるんだい?」。彼の顔を急に暗くなりました。裏方仕事はどうとか、会社勤めはどうとか。
あんなに一生懸命話してくれていた彼の顔色を変えてしまったのは私だ。と、その瞬間に思いました。彼を傷つけてしまったのだと。笑って「宮仕えの人間にそんな栄誉はないよ」と言える余裕が彼にはありませんでした。
そして私は、そういった「名前ごとき」が人を傷つけるのはよくない、と思ったのです。幸いなことに、古本屋は自分の顔と名前でやる仕事でした。態度はでかいが、力は小さく、儲かる金額はもっと小さいですが、少なくとも「名前」で傷つくことは無い仕事です。
その時の彼に私は、「もういい年なんだから、自分の名前の出ない仕事をするのはしんどくない?」とか言ってしまったような気がします。彼は優しいので、「そうかもね」とか答えてくれたと思います。そして、自分の言った言葉は自分の方にも返ってくるのです。
私は古本屋さんの店員で、店主のでかい態度と小さな権力とそこからもたらされる給料で生きているのだ。その事実は、彼にそんなことを言う資格がないことを意味しています。吐いた唾を飲み込むことはできないように、私は自分の言葉をじっと見つめていました。
そして、しばらくして私は独立して古本屋になりました。その時にまず思ったのは、「あぁこれで自分で責任が取れるな」ということでした。そして、実際には色んな人に迷惑をかけまくって行くわけなんですが、即売会にも参加するようになり、
自分の本屋の屋号(これは自分の名前と同価値です)が、ぽつぽつと出るようになりました。「悪い時も、良くない時も、しんどい時も、泣きたい時も、(いい時がねーな)、いつか訪れるいい時も自分のおかげだ」と、言えます。あの時の言葉に少しは責任を取れたのでしょうかね。


こう書いていると、お勤めをしている方に否定的なことを書いているように思えて来ましたが全然そんなことはなく、私は「それが出来るならば」、出来れば大きい会社に勤めて、安定した生活と大きな仕事をし、社会に貢献する方が良いと考えています。
ただ私はそれにはみ出してしまったから、「本の管理人さん」になってしまったわけで、私にはその選択肢が無かったのだということで、その辺には目をつぶっていただければと思います。
最後に、「古本屋さんとしての能力に疑問があるお前なのに、古本屋さんの店員としての能力は一体どうなんだ」という部分に関しては、まぁ、追い出されたというのも、確かに、ある、か、も。思いのほか長くなってしまった