最近では、「ドン・ジョン」→「ロボコップ」→「ダラス・バイヤーズ・クラブ」→「アナと雪の女王」という風に観ついでいました。「ダラス・バイヤーズ・クラブ」と「アナと雪の女王」はまとめて。二つとも素晴らしい映画で、太陽を一度に二つ観たような気分になりました。
この二つを同じ日に観てしまうなんて、もったいないような、贅沢なような、なんというかもう大興奮。私の中で、今年を代表する映画となるのは間違いない二つ。こういうこともあるんだなと、なんだかふわふわしています。うん、大変に素晴らしい。





最近どうやらハリウッド大作系爆発映画に食傷してきたのか、この映画館を訪ねることが増えてきたような気がします。「ダラス・バイヤーズ・クラブ」は、ヒューマントラストシネマ渋谷
主人公のロンは、テキサスのカウボーイ。つまり、「男の中の男」である。そんな彼が、病院で医者からHIV陽性であることを告げられる。当時、エイズは「同性愛者しかかからない病気」という風潮であった。「男の中の男である自分がなぜ?」と調べていく内に、自分が感染したことを納得せざるをえなくなる。
余命宣告は「後30日」。怒り、苦しみ抜いた後、ロンは生きたいと願った。治療薬を陰で買い集めるが、効果は芳しくない。そして、すがるような気持ちで訪れたメキシコで、彼はアメリカでは未承認だが効果的な薬と出会い、一命を取り留める。さらに気付く。「この薬を持ち込めば儲かりそうだな」
アメリカに戻ったロンは、商売を開始する。エイズにかかり、薬を手にいれられない人間は沢山いる。そういった人間から入会金を取り、薬を配る会員制システムだ。国境を越えて薬を集め、法律を乗り越えて行列する会員に手渡す。名前は「ダラス・バイヤーズ・クラブ」。
まずなにより、主演のマシュー・マコノヒーが素晴らしかったです。余命30日を宣告されるに相応しく、ガリガリに痩せているのですが、「戦い、立ち向かって行くために必要な最低限の力」をギリギリ残すまでに研ぎ澄まされているという感じ。飲む・打つ・買うの三冠王の荒くれ者が、包容力のある理知的な人間に変わる姿を見事に演じています。
実話をベースとするストーリー見事、どこまでも緊張感を切らさない演出も見事の一言でした。テキサスは暑く、メキシコも暑く、病気と権力と現実と戦う日々もただただ熱く、エピローグで触れられるその死の瞬間まで続いたであろう灼熱の日々を思うと、胸の内を強く握られたようになります。
最初男らしく生きるのに必死で、次に病気に立ち向かうのに必死で、最後はなすべきことをなすのに必死の人生を描いています。そのことは、度合いの違いはあるにしろ、どこかで自分たちの人生にもあてはまることのように思えます。始ってしまえば、降りることのできない列車、外れることのできないレールの上を走っている。 
それは、言うなれば「仕方のないこと」で、こんな私でも少しだけ当てはまります。だから、私は、映画の登場人物に感情移入するタイプの視聴者ではないのですが、ロンの「死なないのに必死すぎて 生きている実感がない」というセリフに、共感せざるをえません。そして、この映画を観て共感しない人がいるでしょうか。

これは雑談となりますが、「ダラス・バイヤーズ・クラブ」は「ウルフ・オブ・ウォールストリート」と対になる映画ですね。片や余命30日を宣告されるエイズのカウボーイ。片や「ウルフ」と呼ばれた伝説的なウォール街イカサマ師。全く違う立場の二人ですが、アウトローで、脇目も振らず走りぬいた点で共通しています。
「国や政府などを信用していたら、何一つ間に合わなかった(い)」ということは、そこだけ抜き出してもとても教訓的ですし、その人生を見てもとてつもなく眩しい。こういった映画が続けて出てくるということは、アメリカという国に、「そういう空気」みたいなものがあるんでしょうか。閉塞感? 憧れ?