「個性」について

ぶつかってぶつかって、砕けて、ひしゃげて、擦り減りきって、それでも残っているものを「個性」と呼ぶのだと思う。


何が言いたいのかというと、「個性を伸ばす」なんていうのはとんでもない話だということ。
「個性」は伸びるものでなくて、「残る」ものなのだ。
まずぶち砕いて、それでもなお発揮される真価が「個性」だろう。


ついでに、なぜ「個性的」という言葉に嘲りの成分が含まれるのかと言えば、
時を経てペラッペラになった「自分自身」がすなわち「個性」だからだ。
つまり、個性に「〜的」などありえない。あるとすれば、「あんた類型的だよね」と言われているということだ。


だから、「貴方は個性的な人ですね」などと言われたら、隣の金物屋で大きめのハンマーを買って、それを口にした相手をアスファルトごと砕く勢いで、ぶち切れるべきだ。
長い年月に渡り、わずかに残ってやっとかき集めた「個性」を笑われる理由を、普通の人は持たないはずだ。