夜歩く

夜、行きつけの神社に手を合わせに行くと、道が街灯に照らされています。
ところで、「行きつけの神社」という表現は正しいんでしょうか。
なんか、飲み屋の常連みたいな感じで失礼のような気もしないでもないのですが。まぁいいか。
おそらく、その街灯は神社側の「配慮」だと思います。
夜に参拝する客は少ない、というか普段から参拝客などほとんどいないわけですから(失礼)、配慮にしてはかなり立派だと素直に思います。さすが神社。
まぁ、真っ暗だと防犯上良くないということもあるのでしょうが、おかげさまで、昼間行きそびれた場合でも、怖い思いをせずに手を合わせることができるわけです。


その帰り道、参道を歩いていると左側には学校が見えます。
街灯のぼんやりとした白っぽい光の中にそびえ立っていて、コンクリートの厚い壁の雰囲気ともあいまって、なにか外部からの接触を拒絶しているような印象を受けます。
窓からのぞいている廊下は、参道以上に真っ暗だし。
ありていに言えば、夜の神社なんかより、夜の学校の方がずっと怖いですね。
こういう怖さというのはなんなんでしょう。
「なにもなさそうで怖い」というのではなくて、「なにかありそうで怖い」んですよね。
確かに、なんにもないなら怖い理由もないわけで、なにかあるから怖いんですけどね。
そういえば東京の夜はとても明るくて、しかしいくら外側を明るくしても、人間の内側まで明るくするわけにはいかないという、
そんな話か。