リスキーエッジ

押川雲太郎という麻雀劇画作家がいて、その人が麻雀劇画を書いている。
今、その漫画がクライマックスに来ていて、もう来月で終了という回が、今月だったのです。
今月はマジですごかった。
私は麻雀劇画を読んで20年くらいになると思うのだが、その中では今月のサブローソが間違いなくすごかった。
コンビニで立ち読みしていたのだが、体が凍りついた。
奇跡的な回と言ってよいと思います。


まず、いろいろなことを書いておかなければいけないでしょう。
これを読んでいる方。おそらく、あなたは麻雀劇画のことを知らない。
知っていても、「リスキーエッジ」を毎月読んでいない。
読んでいたいたとしても、麻雀をあまり遊んだことがない。
だから、あなたは今回の「リスキーエッジ」のことを分かりはしない。
積み上げる。正しく積み上げる。実は、ただそういうことだけが、麻雀劇画の真理だったりするわけなんだが、そういうことを多くの人、というか普通の方はご存知ないと思います。
例えば、本当にシリアスな局面では、一番手と二番手は同色のテンパイになるとか。
どういう時に、「紛れ」が起こるのか、とか。
もちろん、私だって麻雀について大したことを知っているわけではないのだけれど、「リスキーエッジ」という漫画はそういうことを積み上げていて、そして奇跡的に、その結末と、私が知っている麻雀感が一致する瞬間があった。
そして今回の結末は、私の麻雀感と作者の麻雀感が一致しているにもかかわらず、結末はそれを裏切るという点で、本当にすごい回であったなぁと思うのです。
「あぁこういう風になるだろうな」と思う。
「あぁこういう風になるだろうな」と思った理由をなぞらえながら、それと正反対な結末になる。
それが勝負の結末になるのだから、これはもう「意外な犯人」という他ないのですよ。


麻雀劇画の文法というものがあって、その中で健闘してきた人たちがいます。
片山まさゆき嶺岸信明福本伸行…… それに続く人たち。
でもそういった人たちが連載し、戦ってきた中でも、今月の「リスキーエッジ」の結末は本当にすごい回だったと思うわけです。
でも、それは今月号だけ読んでも通じないんだよね。
なぜ、あのサブローソのツモあがりがありえないのか、とか、「いやいや可能性がゼロじゃないってことは、ありえないわけがないってことだから」みたいな意見がバカバカしいとか、でもそのバカバカしい意見みたいなものが実際そういだったりとか、そういうこと積み重なって、今月号の近代麻雀に結実するわけです。
麻雀は勝負ごとですから、結果が全て。だからこそ、その積み上げ方こそが運命となりうるわけです。


福本伸行の大ヒットがあっても、麻雀劇画が漫画業界の表舞台に踊りでることはなかったと記憶しています。
もちろん、コラボレーション的なヒットはあったのですが(「オールドボーイ」とか「カイジ」とか、押川雲太郎もメジャー側の雑誌に連載していたりします)、それは「次」に続くものではなかったと言って良いと思います。
そんな中でも、麻雀劇画的な勝負論は細々と続いていて、絶えることはありませんでした。
そして、押川雲太郎は立ち位置を麻雀劇画に戻して、「リスキーエッジ」を書きました。
正しく積み上げて、その上で意外性のあるものを書けた。
おそらくこのことは、世間にまるで知られることなく終るのですけれど、
青山広美が「バード」という、全然麻雀ではない究極の麻雀劇画を描いたことを誰も知らないがごとく終るのですけれど、
それでも私はそのことを発見したので、
ここに書いておきたいと思います。


単行本で読んだら、今日ほど感動するのかは分かりません。
でも、無意識の内に体が震えたのは、本当に久しぶりでした。
思わず雑誌買った。すげー高かったよ。