「死神の精度」(伊坂幸太郎)文藝春秋社 2005年

tanakadaishi2008-05-10


というわけで(どういうわけなんでしょう)、今日は最近読んで良かった本の話を。
伊坂幸太郎の「死神の精度」です。
正直に言いますと、伊坂幸太郎といえば「オーデュポンの祈り」「重力ピエロ」「陽気なギャングが地球を回す」くらいしか読んだことがありませんでした。で、それを踏まえての私の伊坂幸太郎に対する印象というのは、
「どうにも残念な感じだね」
というものでした。


その三冊の感想をいえば、
「オーデュポン〜」は、村上龍と春樹を足して奇数で割ってみたの?
「重力ピエロ」は、タイトル最高、内容微妙。
「陽気なギャング〜」は、やっぱりドートマンダーシリーズってすごい面白いよね! ウェストレイクス最高!
という感じでしょうか。いや、結構褒めてるつもりなんですが。
センスのある作家かもなぁ、と思いながらも、「まぁ頭でっかちな作風だよね。その内、石田衣良みたいになるんじゃないの? 立ち位置的に」。と結論づけて、処理済みの箱の中に放り込んでいたのでした。
そんな私に、「これをどうぞ」と後輩が貸してくれた本が「死神の精度」だったわけです。


数年の時を経て、一読して驚いたのは、ただ読んでいるだけで、この伊坂幸太郎という作家の充実ぶりが伝わってくることでした。
「うぉ、脂乗りまくってんじゃん!」
と、思わず声をあげるくらい。
おそらく、私の感じていた「頭でっかち」という点は未だに解消されていないと思うのですが、そんなことを気にする間もなく最後の一行にたどりついておりました。マジでやりよる、伊坂幸太郎
軽妙な会話を軸に、どこかで聞いたことのあるような話をちょっとひねって、読者の前にポンと投げ出して見せる。
その手つきの見事さというか、「今のオレは滑り知らずなんだぜ?」という堂々とした押し出しというか、登場しただけで思わず笑う準備をしてしまうような、「全盛期の漫才師」的なオーラがこの作品からは発せられておりました。


さて、ここまで内容に全く触れていないことに気がついたので、少し触れておかねば。

「人の死には意味がなくて、価値もない。つまり逆に考えれば、誰の死も等価値だということになる。だから私は、どの人間がいつ死のうが、興味がないのだ。けれど、それにもかかわらず私は今日も、人の死を見定めるためにわざわざ出向いてくる。
なぜか? 仕事だからだ。床屋の主人の言う通り。」

「千葉」と名乗るとぼけた主人公の仕事は「死神」で、彼は自分の担当する相手の生死を判定するために下界へとやってきています。
この本に登場する担当される人は、電話のクレーム対応が仕事のお姉さんや、ヤクザや、人殺しなど。一週間の内に、彼らの死を「可」か「否」かで判断する、というのが「千葉」の請け負っている業務なのです。
「死神」の仕事は、大抵の場合は「可」となるべきものなので、本来ならば判断に一週間もかける必要のない、形ばかりの調査として行われるものです。しかし、「千葉」は一応職業的な意識の高い死神であり、まぁ一一生懸命ということもないのだけれど、それなりに真面目に仕事に取り組んでいるわけです。
「千葉」は調査のために、対象者と接触をはかります。そこで繰り広げられる物語。死神の前で繰り広げられる、生のバーレスク
それが、この「死神の精度」という本に収められたお話です。


圧倒的なテンポの良さと、「死神の精度」というサッカーでいうところのキレキレのタイトル。充実ぶり、っていうのはこういうところにも出るんだよなと思わされます。
最後の一章も、冷静に考えれば「だからなんなんだよ」と言いたくなりそうなものですが、本を閉じた後に「ホーッ」と息を吐いて思わず感慨にひたってしまいました。しなやかで巧妙。ちょっと欺瞞の混じった優しさが、私の趣味にバッチリ合しました。
ミステリー以上、ミステリー未満というか、不思議な立ち位置な作家ですね。この人。


私は今となっては、人から借りた本しか読まない有様なのですが、この人の本はもう一冊くらい借りてみるつもりでいます。やるじゃん。