さざなみ

むしょうに草野正宗の声が聞きたくなって、「さざなみCD」を入手。
これが思った以上にシミてしまって、ちょっとショックでした。
この年になって、バンド音楽にグッとくるなんて。「今まで何やってたんだオレ」、みたいな。


大学生の頃は、スピッツはとても好きなバンドの一つで、それこそ一枚のCDを何百回も聞いたもんでした。
だからもちろん今だってキライなわけがないのですが、生活の変化に応じて自然に疎遠になったという感じだったわけです。
まぁ、中学生時代の仲良しって感じでしょうか。違うか。
彼らの活躍は知っていましたが、それは人づてに聞くそれで、「あぁそうなんだ。いいバンドだよね。頑張って欲しいね」とかなり他人事。
つまり、「あいもかわらず、いい曲を出す人たち」という言い方になるのですが、この場合の「あいもかわらず」っていうのは、実はあんまり褒め言葉じゃない感じがします。少なくとも、言ってる自分はそう思ってるんですな。


で、「さざなみCD」ですが、とりあえず3周くらい聞いたのですが、あいかわらずでした。
あぁ、でも悪い「あいかわらず」じゃなかったんだよなぁ。
正宗君の声は、少し年取ったかなと感じましたが、むしろ「よ! 久しぶり」という印象を強く。
楽曲はキャッチーなもの満載で、もう「スピッツの大バーゲン」という感じです。
そして、あいもかわらず歌詞はどこか後ろ向きで、メロディはまぶしいばかりに明るい。
「なんだ、お前らまだそんなことやってたのかよ」と、何だか涙ぐみそうになりました。


一枚のレコードを聴き終った後の静けさの中で、少しだけ考えます。(普段より、一層静かです)
例えば、「音楽が世界を救う」とか、そういうのはやっぱり嘘なわけですよ。
どんな素晴らしい歌い手でも、高周波でミサイルを打ち落としたり、バリアーを張ったりはできないわけです。
いや、出来てもいいんですけど、それは歌手というよりも、別のものでしょ。
でも、音楽には「見知らぬ人から受けた親切」みたいなところがあって、それが自分の中で力になったり、内面の傷を治したりという部分が確かに存在しますよね。
まぁ、アルバムが100万枚売れて、誰のところに幾ら入る、というのももちろん「音楽」だったりもするのですが。


最後の曲名は、「僕のギター」。
「君をうたうよ 小さなことが 大きな光になっていくように
 かきならしては かきならしては 祈ってる」
で、このアルバムは終わります。
なんか、つい「僕はうたうよ」と言ってしまいそうな世の中ですけど、そこできちんと「君をうたうよ」と書ける正宗君は偉いなと、そんなことまで感心してしまったのです。