ふんぎり1

私は、携帯電話のメモ帖に、あらぬことを口走ることが常である、ということは以前書きました(確か)。
また貯まったので、ここで洗いざらいさらして、データをばっさりとキレイにするきっかけとします。


・人は自分より弱い立場のものを手に入れることにより、優しさと残酷さを得ることになる。
心の働き方、みたいなものには興味があって、とはいうものの心理学を勉強しよう、というほど熱心ではなく、そのために思考としてはこの辺どまりなんだなー、という感じ。残念ながら、私はそういうものを手にいれたことも、手に入れられたいと願われたこともないので、深化する気配もありません。手にいれちゃっていいのに! もう!


・白くて足の長い鳥
見たそのまんまなんだろうなー、シリーズ。鳥は見ることはあっても、足が長い鳥を見るのは珍しかったんじゃないかと思います。
確か学校の手すりにつかまっていたので、より印象的に。
最初は、つくりものかとも思ったのですが、次の日なかったので生物認定。


・イベントシーンより、思い出づくり
自分でも何書いてるのか、よくわからないんですけど。
すごい後だしじゃんけん気味に書いておきますと、
ゼルダを遊んでいて、これがすごく楽しかったんですよね。それで、「あぁゲームっていうのはキャラクターどもが小芝居するイベントシーンよりも、自分が体験して「おっ!」って感じる方がいいよなー」ということを考えたのではないかと、
思うんですけど、思い出せません。


愛国心とは、ご先祖様を敬うこと。
一時、「愛国心」談義みたいなものが活発だった頃があり、新書なんかも売れて、新聞などでも盛んに取り上げられていました。
ただ、頭の良い人が考える愛国心様を信心する気にはなれんよなー、と思っていたわけですが、そんな時に菅原通済の本をぺらぺらとめくっていたら、以上のようなことが眼に入ってきました。内容はすごくまとめちゃってるので、本当はもっともっと分量があります。
愛国心」に関して、唯一気が利いてるなと思った意見ですね。菅原道真を先祖に持つ人の、一発芸的なものでもありますけど。(ほんとに、道真の子孫かは知らないよ)
「説得力」、より「納得力」が高い方が好みなんだなぁ。


・眼を閉じることで、なぜ眼に瞼が付いているのかが分かった。
見たくないものが目の前にある時、眼をつむればいいのは便利だなと。


・科学魔界
「科学魔界」は学習院中学のSF同人誌で、編集長が巽孝之だったので、おぉ魂百までだなと思ってちょっと欲しかったのですが、高くて買えなかったという話です。荒巻義雄の名前もあったりしたので、調べたら面白いかなとも思ったのですが、買えなかったのでどうでもいいです。


・幸運の先払い
これも、なんでこんなこと書いたのか分からないですけど。
まぁ、後払いより先払いの方がよさそうです、幸運の場合。後から、多額の幸運を請求されても困ります。


・知り合いに会うことで、どんどん気難しくなっていく自分を防ぐ効果がある。
実感かと。


・例えば、本当に優しい人に触れることで、自分も同じように優しいのだと錯覚する。
優しさシリーズ。しますねー、錯覚。その人のように自分も出来るのだと、なんとなく思っているのだけれど、実際はとんでもない話です。錯覚というのは人間の持っている性格の中で、最大のガンだと思うのですけれど、どうも取り除ききれないほど転移してますね。
困った。


・似て非なるシリーズ 缶コーヒーとカップラーメン
付いている名前と全く別の食べ物なんだけれど、まぁそれはそれでおいしい。
そういうコンセプト。他のものが思いつきません。


・三角形の一辺すら持たない自分。
わけわからん。
上手いこと言おうとして、失敗してるのか。


忘れてるのはありますけど、「一体誰が書いてんだこれ」というのはありませんね。
あぁ、自分が書いてるんだなと納得できるものばかり。
なんか恥ずかしい。