タンス ウィズ ミー

いや、もう、大変な思いをしたわけですよ。
そう、箪笥(たんす)なんです、箪笥。
いやもう、箪笥のおかげでクタクタのへろへろなんです。
箪笥(たんす)には、もちろんいいところがいっぱいあるんですけれど、それだけじゃないということも、皆さんは良く憶えていた方が良いと思います。


まずね、ムダに大きいんですよ、箪笥さん。
高さが180くらいありましてね、横幅も1メートルくらいあるわけです。立派なもんですよ。
それで、まぁセパレートになってまして、上と下が分かれるようになっています。
大きいものを作る時のセオリーですよね。
大仏もパーツを持ち寄って、それを一つにして大きな仏様にするわけです。それと同じパターン。いや、違うか。
山口雅也風に言えば、「困難は分割しろ」というやつですね。それも、違うか。
まぁ、二つの箱で一棹という風になっているわけです。


それに、そりゃもう箪笥ですから、中身が入ってるでしょ。
これがまた難儀なのです。
桐の箪笥で、着物なんかぴっしり入ってるわけなんです。
樟脳の匂いなんかプーンとしてね、中身は和紙なんかにくるまれてたりして。
うぉ、なんか久しぶりに昭和を見たぜ、それも自分の家で。みたいな。
まぁ、話の流れでお気づきでしょうが、この箪笥をね、動かさなければいけないわけなんですよ。
中身が入ってたら、いくら二つに分かれるといってもね、とてもじゃないですけど動かない。
だから中身は引き出しごと出すわけなんですけど、その出した引き出しはどこに置くんだと。こういう話になるわけです。
この箪笥はね、ながーい間、私の部屋に置いてあったわけですよ。
でね、その私の部屋はね、まぁ有体に言ってあまり広くありません。いや強がりました、狭いんです。
その狭い部屋には、涙ぐましいほどの効率でものが詰め込まれているわけです。
た・く・さ・ん・あるんです、ものが。
普段は着物なんか着ないんです、今は平成だ・か・ら。
いや、着る人もいるんですよ? 元号なんて関係ない。和服の伝統は死んでない。そのとおり。今、渋谷駅で1分も待ってれば、浴衣姿の女性を10人や20人見ることは簡単でしょう。
でもね、うちにはいないの、着物を着る人が。だからね、その箪笥は引き出しが引き出せないところまでものが置いてあったし、天板には箱が超効率よく積んであったの。どうするんだよ、この荷物。
えぇ、そりゃあもうね、片付けましたよ。片付けましたとも。


さぁ、20時になったから、打ち合わせどおり箪笥を動かそうかと、相成りました。
こっちはね、引き出しのスペースを確保するために、18時から片付けてそろそろちょっと一休みしたいなという感じなんですけれど、向こうはやる気まんまんなわけです。
でもまぁ、この家では私の立場は犬の次と決まってるわけでしてね、4人+1頭家族で、犬の下となれば私の下には誰もいないわけで、まぁハナッから意見を言うのはあきらめてました。
さて、ここまでなんだか自分の都合ばかりやいのやいの書きたてて、ちっとも同情する気になれないという風にお感じの方も多かったことでしょう。「部屋が片付いてない」とかね、「汚い」とか、「人の住むところじゃない」とか、おい、そりゃ言いすぎだろ。あんたが俺のなにを知ってるんだと、言いたいところですが、まぁ私もあんまり住みたくないようなところなんです、確かに。
でもね、さすがにこれを聞いたら、私に同情したくなるというものですよ。
いや、ほんとに。
なんとね、この箪笥の置いてある部屋2階なんですよ。
それにね、階段がすごい狭いんです。
それに、今南半球にいる人は全く気づいてないと思うんですけど、東京は超が山積みになって上の方が崩れ落ちてくるほどひどい熱気なんですよ。
こういったことを全部知りながら、もくもくと部屋の片付けをした私。偉いと思いませんか。ちょっと泣けますよね。少なくとも、私は泣きそうでしたね。
いや、ホントは一言「これこの狭いところから降ろせるの?」と言いたかったんですよ。
でもね、もう聞く前から返事は分かってたんでね、「入れたんだから出せるわよ」と。もう聞くまでもないですよね。うん。


さぁ、片付けが始まったわけです。
引き出し抜いた。私の事前の準備により、見事成功!
上の段外した。移動後のことも考えて、下の段から先に運ぼう!
下の段、階段を降ろした。狭い階段を突破し、扉もぎりぎりのところでうまく回れて、まずは順調な滑り出し。
さて、問題は上の段だったのです。
いや、考えてみれば簡単な話なんですけど、上の段は下の段よりも高さがあるんですよ。
で、下の段が階段下の180度回さないと通らない扉を通過できたのは、ギリギリだったんですよね。
小さい方がギリギリだったのに、大きい方が通るはずないじゃんねぇ。そういうことにね、階段を降ろした先の踊り場風の場所で気がついたのです。
階段を下りてから、われわれはその箪笥をうまいこと回転させなければならないのですが、そのためには明らかにスペースが不足していました。えーとなんというか、ちょっとがんばればなんとかなる可能性を信じてみたくなるくらい?
狭い階段を降ろしてきた後でしたからね、やりましたよ15分ほど。縦にしたり横にしたり斜めにしたり。
でも結論はこうでした、「物理的にむりー」。


周りにある邪魔してるものを全部どかした結果、それでも無理だったわけですよ。
これはもう無理としか言いようがない。納得だー! あははは!
汗まみれになりながら、狭いところで普段使わない筋肉を使って、それも大の大人が三人がかりで一畳程度の場所に密集。
それも、その一畳のほとんどの部分は箪笥がしめており、こちらは座るスペースもありません。
ムレムレなわけです。ハアハアと吐く息が充満している感じ。
正直不快です。
さらに、こういう時に限って、なぜか白い服を着ているわけです。
いやもう、この段階で白と黒のまだらの服だったわけですけど。
こんな状態で休憩をする気にもならないので、私は厳かに命令しました。
「もうこれ以上どうしようもないので、そこの扉を外してください」
扉は開いた状態なんですけれど、どうしてもその扉自体の厚みが邪魔になっているわけです。
あと10センチ、いや5センチあればどうにかなるのに……
というわけで、最後の手段としてその扉自体を外すことにしました。
扉を外す、いや世の中に着脱自在な扉はあまり多くなく、家の扉もやはりネジでしっかり固定されている扉でした。
そこで私は、厳かに命令したにも関わらず、家の序列に準じて、自分の命令どおり自分で扉を外すことになったのでした。


マイナスドライバー片手に、6本のネジを外すと、なんとか扉を取り外すことができました。
その間15分。
外されて壁際に立てかけられた扉は、確かにいつも見慣れた扉そのものなのですけれど、どこか不思議な感じで立てかけられています。
そんな私の感慨もどこへやら、ただちに箪笥の脱出作戦再開です。
与えられた5センチほどのスペースは、見事われわれに成功をもたらしてくれました。箪笥(上の段)見事脱出!
これで、上下ともに箪笥は一階まで運び出されました。
そして、次はこれらの箪笥を隣りの家の二階に運び上げるミッションが待っています。
しかし、これは先ほどまでの「狭い階段を下に降ろす」に比べればなんということもありません。
広い玄関を通って、下の段は難なく二階の狭い荷物部屋へと収まりました。
「もうすぐビール!」と意気上がる我々。
物事というのはね、その最大の難関をクリアーした時点で8割方は片付いているわけです。
ということは、もう片付いたも同然。
流した膨大な汗のことを考えれば、もはや缶ビールのプルトップは半ばまで引き上げられたも同然なわけです(もうなにがなんだか)。
後は、上の段を二階の部屋に運び込み、箪笥の引き出しを元通りにおさめれば完了です!
さぁいくぜ! ここまで来れば、昼間は暑くてだらけきっていたのに、夜になって涼しくなったのでようやく元気になった犬だってかわいく見えるぜ!
一気に二階にまで、箪笥の上の段を運びこんだ我々!
そして、我々の前に訪れたのは!
我が家の箪笥の上の段は、下の段より随分大き(以下略)……
その時ほど、箪笥(上の段)を恨んだことはありませんでしたね。


もう、参加者ほぼ全員がばてていた上に、明らかに二階の扉には通りそうになかったので、箪笥の上の段は一階のガレージに放り込まれることになりました。
哀れ、箪笥ちゃんはその身を二つに引き裂かれることになってしまいました。
まぁ、それでも片付いたは片付いたし、私はどかしたおかげで部屋は広くなったしと、終わってみれば全てよし、という雰囲気になりました。
箪笥の引き出しを嵌めるのに、ばたばたしたりもしましたが、まぁそれはいいでしょう。
額の汗をぬぐって、ビールで乾杯!
ほんとにサッポロは大したやつです。こんなにビールがおいしいなんて、すっかり忘れておりました。
お互いの健闘をしばし称えあった後、父上は風呂に入るといって部屋を出て行きました。
私は冷房で冷やされた部屋が名残惜しく、今度はキリンにむかって「お前は大したやつだ」と話しかけていました。
やがて、父上が風呂からあがってきたので、私もシャワーを浴びることに。
これで、サッパリです。
汚れで、白と黒のまだらになったシャツや、なんだか埃の臭いがしみついたズボンは洗濯機に突っ込みました。
そして汚れを洗い流すと、あら私、生まれ変わったみたいー。
清潔な服に着替えて、時計を見ると10時半でした。
さて、今日は早いけどもう休むか、と思い自分の部屋に戻ることにしました。
玄関を出て、再び私の部屋を向かいます。
扉をくぐって、部屋の中に入るとふと目が合いました。
彼は、「そんなことだろうって分かっていたよ」という風に静かに佇んでいました。
いや、立てかけられていました。


おい、誰が戻すんだよ、この扉。