おおきく振りかぶって

人は、地獄のような痛みを感じながら生きて行くわけなんですけれど、


と大きく振りかぶって投げてはみたものの、力不足を痛感します。
大体、「地獄のような痛み」じゃなくて「地獄のような苦しみ」だろう、
などと、書いてて自分で思ってしまうわけです。


まぁ、なんでこんなことを書こうかと考えたのかというと、ようするにいつもの病気で、「とりあえず初心に帰ってみよう」みたいな思いに取り付かれたわけなんです。
現在地点の確認というか。タッチの26巻というか。「朝倉南を永遠に愛しています」みたいな。
これは、ようするに「リセット願望」の変形だと自分では思っているのですが、私はわりと「もったいないオバケ」な方なので、こういう形でそれが現れるのかもしれません。


こういう時というのは、ようするに「力不足な自分」みたいなものから逃れようと身をよじっている時なので、まず自分が「大丈夫な部分」みたいなところを列挙することをやるわけですね。「よし、ここは何とかなってる」と、安心したいわけです。「俺はこの辺は普通の人よりいけてるはず」みたいな。(まぁ、どの部分が人より「いけてる」かというのは超企業秘密で、恥ずかしすぎてとてもじゃないけれど口が裂けてもいえない、というか裂けたらうまく話せないという感じですので、当然ここには書きませんけど)
まぁこういうことをやっていると、当然今度は足りない部分というのが目についてくるわけで、こういう部分というのは大抵急にどうにかなるような話ではありません。
「いやー、今この瞬間に、大至急才能が必要なんだけど、みつかんないんだよねー。どこにしまったっけ?」
という感じでしょうか。
本当にしまってあるのならばいいのですが、ないものは探したって見つかるはずないんでね。
こういう時は、本気でへこむ以外に方法があるんでしょうか。
あんのか。あんのかよ。あったら、ずるいよな。


まぁ、こんな感じで最初の一行にいたるわけなんです。
まぁつらいんですよ、誰でも。時々は。まぁ当たり前のことで、あえて書くようなことじゃないんですけど。
まぁそこを押してさらに書けば、
私は、自分が本当に欲しいと思うものは、なに一つとして手に入らなかったと感じながら生きてきました。
ただ、その代わりに神様から与えられたものは、それほど悪くなかったので、
というか、結構良いものだったので、大した不満もなく今を生きています。
それでも、やはり自分が本当に欲しいと思うものが、なに一つとして手に入らなかったことを、どこか恨んでいるような気もするのですよね。


この辺から、中学生時代からこの辺から、何度も何度も始めてるような気がします。というか、始めてるのか。
今年もまた暑い夏が始まりますね。
誇らしげに鳴り響くサイレン。青い空に、白いボール。