カレンダーはカレンダー

tanakadaishi2007-05-13

仕事先では、カレンダーは毎日見るようなものですが、自宅では案外そうでもないんでしょうね。

自宅では、日めくりのものを使用しているわけです。
毎日一枚ずつ破り捨てていく、あれですね。
ちょっとおもしろいかな、と思って使い始めたわけなのですが、これがなんというか不便なシロモノなのでした。

当たり前なのですが、毎日自分の手でめくらなくてはいけません。
これがこんなにも手間なこととは思いませんでした。
気を抜くと、あっという間に、二、三日前の日付のままになってしまいます。
ひどい時には、先々週の日付だったりするわけで、そういう時は「アホかーーー」と言いながら、バリバリとめくることになります。
手に残った大量の紙は、一秒たりともその日の内に表示されなかった日付だったりするわけで、そのことに罪悪感を感じたりもします。
それに大体の場合、カレンダーはその日の日付を保証してくれる役割を果たすために存在するはずなのですが、あまりにたまってしまうと、今日の日付を他のもので確かめてからめくる事態となります。
もう、なにがなんだか。

まぁ、その代わりと言ってはなんですが、その一日に対する日めくりカレンダーの情報量は多いです。
「努力とは力むことではない誠を積み重ねることである」
とか、
「看護の日 海上保安庁記念日 大垣まつり」
とか、
「一白ひのえうま 仏滅 旧3月26日 二十八宿胃 就職、婚礼、造作に吉。衣類切断は大凶」
とか。
日めくりカレンダーが、過酷な競争を勝ち抜くための進化が、情報量の増加という形で現れているのだと思いますが、これらの情報がどれほど望まれているのかといえば、さて。
先の予定が書き込んでおけないという、致命的な欠陥をこの情報量がカバーできるんでしょうか。

これならば、いっそ自動式にしてしまえばいいのにと思いますが、そのためには価格が上がってしまいますし、考えてみればそれでは面白くもなんともないですね。
このカレンダーは、おそらく自分の手で一枚一枚めくっていくのが楽しいのでしょうね。
というわけで、現在のところ私はこの日めくりカレンダーを、卓上カレンダーと併用して使うことで妥協しているのですが、「もしかしたら日めくりの方はいらねんじゃね?」という考えは頭を去りません。