本当は、明日も楽しいのですが。

あぁ楽しかった。
あぁ楽しかったと、いつも書いているような気がしますね。
でも先週から今日にかけて、本当に楽しかったです。
でもこう書くと、普段が嘘ということになってしまいますね。ならば、今週も本当に楽しかったです。
でも、こう書くと差別化できませんね。困った。


ここ一週間は、本当に忙しくて大変でした。
しかし、忙しいというのはどこかお祭りに似ていて、大変な中にもどこか笑い声が混ざります。
ぎゃーぎゃーぎゃー、うばばばば。
時々出るグチも、どこか楽しそう。年寄りの病気自慢の雰囲気がありますね。
いや、もうそんなに若いわけではないのですけれど。


忙しくて疲れていて、それでもなぜか楽しいというのは、ようするに好きなことをやっているからなのでしょうね。
(まぁ、好きで好きになったわけではないのですけれど)
少年老いやすく、学なりがたし。
老いた少年が、果たして何者になったのかといえば、さてなにになったのでしょうか。
少なくとも、「学」はなっていないと思います。とすると、私はいまだ少年なのでしょうか。
それとも、「学いまだならず。ただ老いたり。ただ楽し」と、まぁこう来るわけなんでしょうか。
なんか、銭形金太郎じみてますね。え、知らない? あ、そう。


昔は、物事は全て「好き/嫌い」で判断していました。
好きなものは世の中の全てですし、嫌いなものは全く不要な存在でした。
しかし、幼い人間は無力で、独善的に嫌いなものを排除することはできません。そこで世の中の厳しさを知るわけです。
さて、幾年かの時が経ち、私も成人となり、いろんな意味で立派な大人になりました。
その立派な大人である私が、結局少しでも「好き/嫌い」というところを抜け出ることができたかといえば、全くできていませんね。
そして、無力でなくなったのかといえば、いまだに無力なままです。
あら、あんまり変わっていません。こりゃ驚きですね。


世の中は暗い話題が山ほどあって、良識のコップはいつも表面張力ぎりぎりです。
私のまわりでも、掃いて捨てるほど嫌な話はありますが、それを語る言葉はどこか楽しそうです。
ということは、今も昔も世の中は楽しかったってことでしょうか。
結局、なにが言いたいのかも分からない様子で、今日も一日が終わります。