うまくいってこそのものだね。

「なんのために生きているの?」
と問われて、「いやまぁごにょごにょごにょ」と答える。
なかなかピシリと返事は出来ません。


「ある男を殺すためだ……」
とくれば、車輪眼ぐるぐるですけど、そういうシビアな人生を送っているわけではないですしね。
「キミを幸せにするためだよ」
とかは結構好きですし、むしろ得意な方だと思いますが、真面目に取ってもらうのは難しそうです。
なぜ突然こんなことを書いているのかというと、先日「生きる醍醐味」の話があったよなぁと思い出したからです。
「生きる醍醐味」。うーん、確かにあるに越したことはない、というかあったらとてもステキだと思うわけです。
まぁ、「命に代えても子供を守る」とか、「利き腕が砕けようと小説を書き続ける」とか、「轢かれそうになった子猫を間一髪救う」とか。
うーん、醍醐味だぁ。


しかし、そういう点に自覚的に生きてる人がどれくらいいるのかと言えば、そんなにいないんじゃないかと思うんですよねぇ。
人間が生きている理由というのはいくつもあるわけなんですけど、その中に「醍醐味があるから」というのは無いんじゃないかと個人的には思っています。
というか、「醍醐味」っていうのは、「ある時ふと気づいたら向こうからダンプが突っ込んできて、間一髪かわしたぜイェイ」みたいなことじゃないですか。
むしろ、こういう内省的な話というのは、フィクションの世界で生きてくる部分なのではないかと思います。


かと言って、そういうことが皆無ということもないですよね。
例えば今は受験のシーズンですけど、合格発表には必ずスリリングな部分がありますよね。
合格すればもちろん不愉快ということはないでしょうが、不合格には大抵不愉快な部分がつきまとっているような気がします。
合格するのが醍醐味なら、不合格も醍醐味のような気がしますが、実は不合格の方はあんまりそうじゃない感じがしますね。
ということは、「醍醐味」は必ず後の成功が担保になっていなければならないのかもしれません。


なら、ギャンブル的なひりひりがなければ、生きている実感がない。ってパターンはどうかって?
うーん、子供を産んだことがないから、わからねーなー。