マザー3、終わる。

発売日に買った、MOTHER3がようやくエンディングを迎えました。
およそ、十年ぶりの新作ですが、とても面白かったです。
プレイヤーの気合を、ちょっと外すようなエンディングでしたが、素直にスタンディングオベーションです。ブラボー


このゲームに関しては、まずグラフィックと音楽の素晴らしさを指摘しておかなければならないでしょう。
そして、最初の数分遊んでるだけで目に入ってくる分量を読むだけで、「あーこれは特別なゲームなんだな」と分かる素敵なテキスト。
(正直、ちょっとずるいと思いますねw)
まさしく、「これがMOTHERなのだ」ということですね。
しかし、2Dで描かれたグラフィックの素晴らしいこと。
まず、鏡に自分(主人公)の姿が映るところで技術の進歩を感じますw
ゲーム世界の常識から、ちょっとだけ外れたデザインをされているキャラクターたちの姿を見ると、まさしく「お帰りなさい」と言われている心境になります。
素敵で、陰惨な幕開けから、ちょっと涙のエンディングまで。
「まるで映画の登場人物のように」というと、もはや定型文として登録されているような言い方なわけですけど、まさにそのように。
そのように、楽しめた25時間でした。


プレイしていて感じたのは、今回のMOTHERは「旅をしている」という感覚の薄さですね。
前の二作は、少年が旅をして、色々な町で色々な出来事に出会い、人に出会うという物語でした。
各地に印象的な舞台が設定され、そこで「剣と魔法の物語では無い」お話が展開していきました。
大きな宿命に突き動かされるようにして、色々な地方を周りながら、私(主人公)は時々セーブするために、自宅に電話をかけます。
そこで母親と話すたびに、「あぁ随分遠くへ来ちゃったんだな」と思える仕組みになっていました。(今思いましたが、これはすごい思いつきですね)
しかし、今回のMOTHERはその設定を受け継いでいません。
それも、私(主人公)は「あらかじめ家に帰る理由を失った存在」として設定されています。
(なので、今回のセーブ方法は自宅に「電話をかける」のではなく、「カエルに話しかける」に変更されています)
「帰るべき故郷としての自宅」というのがなくなってしまった結果、どんなに遠くへ出かけて行っても、あまり「旅をしている」と感じられなくなってしまいました。
そして、ただひたすら抗うことの出来ない運命に流されて、その場で一生懸命頑張るしかないのだ、ということを強く感じさせます。(文章変だな)
そして、そう感じさせることが、このゲームを作った人の大きな狙いの一つに間違いありませんね。
(たまに自宅を覗きに行くと寂しいんだ。家の中がガラーンとしてて。外に三頭羊はいるんだけど。まだお墓に行く方がホッとします)


「ホームシック」をRPGに組み込んだのは、おそらく天才的な発明だったはずなのですが、それを放棄した理由は正直良く分かりません。
この仕組みを利用することで、少年の成長や、「仮想望郷の念」の強化や、ゲームの枠をはみ出した素晴らしい効果を効率よく発揮することが可能なのです。
そんなことは、作っている人は十二分に承知していたはずなのですが(1→2の段階で残してるわけですし)、何で辞めちゃったんでしょうね?
同じことを二度やって飽きたのか、それとも他の理由があるのでしょうか。
もしかしたら、「そういうものを期待している人のことを裏切る」という効果を狙ってる? 続編も三作目ともなると、製作者はまずファンと戦わなければならないということでしょうか。そんなバカなねぇ。


こう書くと、どうも悪い面が強調されているような気がしますが、それは私があのセーブシステムを愛していたということに過ぎません。
今回のシステムになることで、ドラマ性は大きく強化されました。
特に、マジプシーと呼ばれる人たちが本当に素晴らしいですね。
この「マジプシー」という方々は、主人公の導き手にあたる存在なのですが、シナリオを書いた人はそういう人々をいわゆる「二丁目の人」に設定しました。
これが効果抜群。彼らの話す際のテキストは本当に素晴らしく、正直羨望の念を覚えます。
「MOTHERをMOTHERのテイストを残したままで、ドラマチックにする」方法に、作った人は相当頭を使ったのでは無いかと思います。(元が、大げさだと恥ずかしいじゃない、という主張が滲みでているようなゲームでしたから)
それが、今回の3に結実したのだとは感じました。ドラマチックなんだよね、なんだかすごく。


失ったのはスケール感。得たものはドラマ。
MOTHER3は、前二作と比べてそういう感じのゲームです。そういえば、前の二作と比べて、街中で青ざめたおばちゃんがいきなり襲い掛かってくるようなシュールさは、なりをひそめていますね。こういう印象は、家庭用のテレビから、GBAへ居場所が移ったことも影響しているのかもしれません。
そして、エンディングを迎える際に、「さぁゲームは終わりだよ。他のことやろうよ」という声を聞いてしまうような気がするのは、私の気のせいなのでしょうか?
少なくとも、今回のラストは「MOTHER」という世界を終わらせるために作られたもののように見えますね。


ところで、我らがポーキー君の近況ですが、「あぁ相変わらずだね」という感じでした。
彼のことが少しでも気になっている人ならば、このMOTHER3はやる価値があると思います。
なぜかと言われると困るのですが、「ポーキーは誰の心の中にもいます」と言えば答えになるでしょうか。
ならんか。