強いて言えば、自分にがっかり

世の中には、「この人ってオレのことがっかりさせるために生まれたんじゃないかしら」と思う人がいるように思えます。
こういうことを書くと、真っ先に「自分がそうなんじゃねーか」ということになるわけですが、この際自分のことは棚に上げましょう。
直接本人にそう言うわけにもいかないわけですから、こういう思いを繰り返していく内に、その人はもう「がっかりな人」ということになってしまいます。


「がっかりな人とは付き合わない!」と颯爽と決めてしまえる人もいるでしょうが、なかなかそうは断じることが出来ません。
というか、そう出来ないから「がっかりな人」なんていうものにしてしまうわけですね。
少し、とういかかなり距離を置いた方がお互いのため、というようなものですが、どこかバランスが崩れていたりして、そうすることが上手く出来ない。
良くあるような話ですね。


そして、こういう「がっかりな人」かどうかという評価に関しては、人によって評価が分かれるのが面白いですね。
私にとって「がっかりな人」でも、別の人にとっては違ったりします。
仲間内というのは、ある種のフラッグシップがあって、「ある一定の評価」というのが出来やすい環境であるのですが、それでも結構その「がっかりさ」は別々だったりします。
距離感や、直接の利害関係というのが、重要な要素みたいですね。
なるほど。


ところで、なぜ突然こんなことを思いついたのかというと、別に誰か「がっかりな人」が火を噴いたわけではなく、最近そういう人を見かけないな、と思ったのです。
ということは、最近人と知り合う機会が減っているのかもしれない、と暗くなるような、年齢を感じるような、そういう気持ちになりました。