空を見上げて(その20)

現在、日本人初の宇宙飛行士、秋山豊寛氏についてgoogle様で検索中です。
宇宙から帰って来た秋山氏は、帰還後しばらくしてからTBSを退社。福島に引っ込んで農業を始め、植樹や村おこしの手伝いをする日々だということを知りました。しかし、理由が今ひとつぴんときません。困りました。


(ひょうごの旬のマガジン「ふるさと特産館」)
これは、2001年の講演会です。

1990年、テレビ局で環境をテーマにしたプロジェクトを手がけたことから始まって、先進国が生み出す環境への膨大な負荷、そして世の中の大量生産・消費・廃棄の流れに、これで私たちの暮らしは本当に豊かになったのだろうかという思いがつのり、自分で言っていることに責任を持つという意味も含めて、農の暮らしに踏み切ったのです。

1990年といえば、宇宙飛行をする前の話ですね。

53歳になって、あと7年、会社に残るのか、やめるのか、その場のそろばん勘定ではもちろん損になるのですが、もっと大きなそろばんで勘定することにして、やはり生きていくという意味で大きな得であると考えたわけです。

これは、宇宙から帰って来てからの話。間の話が無いということは、「宇宙の話はしてくれるな」ということなのでしょうか。
「仕事がひけたら、農業をしたい」という話は良く耳にしますが、ようするに、そういうことなの?


(安渓遊地 研究室)
これは新しく、2004年5月の講演会です。現在の秋山氏の、講演のスタイルが伺えるはずです。
「農業」の話は、現実的な数字がポンポン飛び出すなかなか楽しいものです。
そんでもって、「環境をテーマにしたプロジェクト」うんぬん。

1989年当時、私がつとめていたTBSという会社が地球環境問題にとりくもうとしたことは、けっこう先進的なことでした。
日本では、まだバブル経済の時代で、環境なんて言うのはネクラでした。
で、結論。

「ネクラ」という言葉につまづかずに進んでいくと、秋山氏の勉強家の一面が現れます。きっと言葉も時代に合わせたんでしょう。
この話の正誤については私はお手上げなんで放置。頭の中に丸ごと置いておくことにします。

このあと、特派員おわったから、金儲けに専念なんてことは自分にはありなのかな、というような問いかけを抱え込んでしまったわけです。
こんな美しいものが壊れそうだというなら、それを大切にするライフスタイルを自分で選ぶのが、自分でつけられる「けじめ」じゃないかな、と思ったわけです。
大きな都会の中で、いろんなシステムの中で役割を果たしていくということはあり得るけれど、自分の意思として別のものを選ぶということもあるんじゃないか、と思ったんです。

これだけ読めば、
「ようするにけじめです」
と書いてあるようにしか思えません。有機農法で生活することが、「けじめ」になるということでしょうか。
まとめとしては、かなり大雑把な気がしますが、いかがか。筆記者が疲れたという可能性もあるので、これだけでどうこう言うこともできないのですが…… 
うーむ。もしかしたら、秋山氏は、顔を見られては「うちゅううちゅう」と言われることに辟易しているということでしょうか。
それでも講演には出掛けて行くわけです。秋山氏が講演を頼まれるとしたら、当然「宇宙に行った人」ということで呼ばれるわけですから、宇宙を「忘れたい過去」だとしているとすれば、この行動は不可解です。

普通、宇宙に行くのは、だいたい国家プロジェクトして行くんです。私の場合は民間会社のプロジェクトとして宇宙に飛んだわけです。



(地方から 社会変える「個」の意識」)
珍しく、秋山氏ご本人の「論」が取り上げられています。
別段目新しいことを言っているわけではなく、相手の言うことに「付き合っている」という感じでしょうか。
しかし、

「あぶくま農業者大学校」を三年前に発足した。有機農業の知識・情報を交換するネットワーク。地縁ではなく、農への「志」でつながる。

今度は、ネットワークを発足。あちこちで「塾長」になっていたりするということを含め、「けじめ」の意味が少しは浮かび上がって来たでしょうか。


(環境政党みとりの会議 日本の農業)
政治家の中村敦夫氏と秋山氏の対談です。
もうね、本当に申し訳なく先に言っておくんですけど、私この「みとりの会議」って生理的にダメです。嫌いとかじゃなくて、苦手。政権政党ははっきりと嫌いですが。えーと、日本のために頑張って、なんとか救っちゃってください。
このインタビューはそれなりにおもしろいので、貼りました。秋山氏の「話」のパターンを、一通り網羅しているように見えます。これさえ押さえておけば、後は大体そのバリエーションということになる感じ。


大分見ましたが、もうちょっと続きます。