空を見上げて(その21 最年長は77歳でした)

今までgoogle様のご託宣をうかがってきたのですが、どうも上から200件くらい読むと、急激にどこかで読んだことのある話が増えてきます。(もちろん、200件以下の検索結果は例には含まれませんが)
これは、1万件を越える検索結果でも、2000件でもあてはまりました。ある一定量を超えたら上位200件で、役に立ちそうな記事をピックアップ。保険をかけるなら300件を見る、というのがgoogleで何かを調べる時のコツでは無いかと思いました。
ん、「200も見ないで用は済む」って? キーワード絞って、一発検索? なるほど。困った。


google:秋山豊寛 -宇宙飛行士
に移行しましたが何も見つかりませんでしたね。
ようするに、昨日で打ち止めだったようです。


これまでに知ったことを単純に書けば、
秋山豊寛氏は)、(宇宙から帰ってきた後)→(会社をやめ農業を始めた)。
ということになります。
しかし「→」のところを一足飛びに片づけると、肝心なことを取りこぼすような気がしてなりません。
別にそうしちゃいけないということも無いのですが、ここまで来たのも何かの縁です。少し真面目に付き合ってみましょう。(とりあえずビールのプルトップを開けます)


一つ、ありきたりな事例をあげます。
世の中には、「宇宙病」と呼ばれているものがあるとどこかで読みました。(これは、宇宙に行った時に起きる「宇宙酔い」とは違います)
宇宙に行った宇宙飛行士が、そこである種「神秘的な」体験をして、帰ってきてから宗教や超能力に帰依するという行為を、若干揶揄を込めて称する表現なんだと、私は解釈しています。知らない方がいるとなんなので付け加えますが、これは宇宙から帰ってきた宇宙飛行士にしばしば起こる現象らしいです。
で、この秋山氏が「宇宙病」にかかったと考えるのは、なるほど明快な答えと言えるような気がします(「宇宙病」の正確な定義は隅の方においやるわけですが)。しかし、これは一足飛び。私の好みではありません。
しかし、好みで無いというだけではあまりになんなので、ちょっと反証してみましょうか。
昨日の日記のリンク先から抜粋。
(安渓遊地 研究室)

赤坂での仕事をやめて百姓になった、なんていうと、どうせあいつは、実際はブラブラしているだけだろうなんて思われるでしょうから、実態がそうでない方が快感が大きいので、販売農家をしています。

赤坂とは、お勤めしていたTBSのことですね。この主語が欠落している発言から、秋山氏がかなりねじれたユーモアセンスの持ち主であることが分かります。その他にも、「嫉妬・羨望が世の中で最も大きな力だ」に類する、今時珍しくは無いですが、かなりシニカルな発言もあります。こういう感覚というのは、「宇宙病」というにはもう少し自覚的な面が強いような気がします。


しかし、もう一方で、秋山氏がある部分で「宇宙」に背を向けているのは間違いない事実です。
プロテクトされているとはいえ、ただ一心に宇宙を思うJAXAの宇宙飛行士の態度とは正反対とさえ言えます。

普通、宇宙に行くのは、だいたい国家プロジェクトして行くんです。私の場合は民間会社のプロジェクトとして宇宙に飛んだわけです。

これも昨日の日記からの一節。秋山氏の講演中の発言とされているものです。
これを見て私が思うのは、JAXAの「宇宙飛行士」の方々は、誰一人として「もう宇宙へ行かなくていい」とは言わないということですね。既に二回の飛行をして、いい年の毛利氏にしても、「まだ飛んでいない宇宙飛行士が全員飛んだ後のことになるでしょうが」と断った後、「もう一度訓練して宇宙に行きたいです」と述べています。向井氏も土井氏も「もう一度行ったら」という話をしていたと記憶しています。まだ、宇宙へ行ったことの無い宇宙飛行士の方ならば、行きたくて行きたくてしようがなくて当たり前でしょう。彼らは、宇宙へ行くために選抜され、訓練を受けたわけですから。
「宇宙飛行士」を職業とする方々は、本能的に宇宙へ行くことを欲するのかもしれませんね。(そんなこと当たり前ですか)
現在、宇宙飛行を行なった方の最高齢は、70を超えていたように記憶しています(後で調べます)。ということは、最小でもその年齢になるまでは、宇宙に出かけるということを諦める理由は無いということになります。毛利氏は、館長室の机に寄りかかりながら、自分の三回目の宇宙飛行に思いをはせることができます。
しかし、これは毛利氏が「JAXAの宇宙飛行士」であるから可能なことなのでしょう。民間人として宇宙へ飛び立った秋山氏には、毛利氏のように次の宇宙飛行を見据えることは不可能です。彼の「宇宙飛行士」としての責務は終わり、その後は「宇宙へ行ったことのある人」としての人生を生きる他ありません。
実際のことを言えば、現役の宇宙飛行士ほどでは無いにしても、「宇宙へ行ったことのある人」という立場も、それを外側から見る人間にとっては十分魅力的な存在です。そのために、秋山氏には講演の依頼が舞い込み、自らの宇宙体験を語る機会を持つことができます。いまだ、宇宙から地球を見下ろした人間は少なく、人はその目が見たものを、見た人間の口から語られることを欲してやみません。
もう一方で、それを求められる秋山氏の方はどうなのでしょうか。
なぜ秋山氏はTBSを辞めたのでしょうか。ご本人は、「宇宙を見た者のけじめだ」とおっしゃっていました。なぜそれがけじめになるのかということは、ただ空を見上げるばかりの人間には想像することしかできません。「これからは共存の時代だ」と言われても、それは世界平和を愛する人々のお題目と一体どう違うのでしょうか?(いや世界平和を愛することは大変すばらしいことだと思いますが)
私は、宇宙から地球を見下ろしたその姿を「へりの部分が美しいのです」と言った秋山氏とその言葉を素直に信じることが出来ますが、帰ってきた後に語られる「環境と正しい農業」という話をそれにくっつけることが出来ないでいます。そこには、秋山氏を「宇宙病」と決めつけるのと同様の一足飛びがあるように思えます。


「どうして、会社をお辞めになったんですか?」
ご本人は、何百人もの方に直接尋ねられたことでしょう。それを尋ねた方の目の中には、時には興味本位の意地悪な光が含まれていたことでしょう。そして同じ疑問が、直接尋ねることが出来ない何千何万人の頭の中に点っていたはずです。
秋山氏はその時になんと答えたのでしょうか。googleでは、納得の行く答えを発見することはできませんでした。そこにあるのは、ある植樹の大会で、一般の参加者に混じって黙々と木を植え続ける姿です。秋山氏は何冊かの本を書いています。もしかして、そこに答えがあるのでしょうか。本を読んだ者だけが、「宇宙と農業の関係性の神秘」を解き明かしてくれる?


やはり、不可解さは消えませんし、「宇宙病」と決めつけることは相変わらず私の趣味に合いません。
仕方がないので、もう少し想像の羽を広げることにすれば、秋山氏が宇宙から地球に帰ってきた際に得たものが、「もう二度と宇宙に行くことのできない悲しみ」であったと考えることは、無理があることでしょうか。
「宇宙飛行士」が、再び三度の飛行を願う生き物だとすれば、秋山氏にとってその夢は断たれています。民間人の宇宙飛行士の悲劇は、それ自体が経済行動として成立していないために、常にその飛行が一度きりの継続性の無いものとなってしまうところにあります。そして、耕作し日々の糧を得るという行為は、巨大なロケットを打ち上げて宇宙へ出掛けることと確かに対極にあるように思えます。
秋山氏は宇宙に行き、そしてそこから最も遠い所去ったのではないでしょうか。一度地球に帰った秋山氏は、もう二度と宇宙へ行ける人ではありませんでした。そして、宇宙が、「宇宙飛行士」の方々が言うように特別な場所であるならば、一度行った人間のみが、そこへ行けない悲しみを知る人です。秋山氏が、それを感じたとしても不思議では無いと私は思います。
帰還して数年後に退職し、どこか宇宙に背中を向けながら、「宇宙に行ったことのある者」として請われるままに講演に出掛けて行く様は、やはりそれを想う姿のように見えてなりません。


もちろん、これは「もしも」の話で、googleで見たものを適当に切り貼りしただけのいい加減なものです。私は秋山氏と面識はありませんし、人の心はこういう風に割り切れるものでも無いわけです。それでも、「もう一度宇宙に行きたい秋山氏」という姿はとても人間的で、私にはなかなか魅力がある姿のように思えます(おかげで少し好きになりました)。
秋山氏は何冊か本を書いていますし、答えはその中に眠っているのかもしれません。まぁ、それでも素直に自分のことを書くような人では無いような気もしますので、私が読むとすればきっと眉につばを付けながらということになるでしょう。それはそれで楽しみかな。


「宇宙飛行士の日記」を探すために、なぜかこんなことを書くはめになるとは思いませんでした。このダラダラした文章を読んでいただいた方、ありがとうございました。
ついでに、じゃなくて本気で書いておかなければならないことを一つ。


google:秋山豊寛 日記


秋山豊寛氏は少なくともgoogleに引っかかる形では日記を書いていないようです。
まぁ、そうじゃないかと思っていました。
このフレーズを書くのはこれで最後です。少し残念ですね。


しかし、ここだけの話ですが、「空を見上げて」はもう少しだけ続きます。
誰に言いたいということも無いでしょうが、内緒です。