うすぐらいはなし

もうすぐ、選挙が行われます。
新聞の世論調査では、民主党が勝利を収めるだろうということで、
自民党は大敗を喫するだろうとの観測です。
私は政治の世界にうとい人間ですし、どこの党を支持するということもありません。
ただ、国会議員を決める選挙の時に必ず思ういくつかのことがあって、
今回はそのことについて、書いてみる気になりました。


選挙のたびに、いつも思ってきました。
中学生の時から、いつも思ってきました。
私は、テレビの画面に現れる、品性の欠片も感じられない、脂ぎって汚い顔をした「政治家」の顔が大嫌いでした。
見ると吐き気がしました。声が聞こえれば、反射的に死んだらいいと思っていました。
そういう時、テレビでふんぞり返っているオッサンには、大抵「自民党なにがし」みたいなテロップが入っていました。
なんで、このオッサンたちは自分の醜いツラをテレビにさらして平気なんだろう、と深く疑問に思いました。
こんなことでは、私がこの「自民党」という言葉を憎むようになったとしても仕方がないだろうと思います。
私はすぐに「自民党」という言葉大嫌いになりました。
政党として、とか、政策が、とかではなく、もう「自民党」という単語が嫌いなのです。
醜いオッサンと、小ずるいオッサンと、その両方を兼ね備えたオッサンの吹き溜まり。
そんなもんを好きになれる若者はいません。
当時、自民党以外は政党ではなくギャグみたいなものでしたから、私は「自民党」の次に「政治」という言葉が嫌いになりました。
汚いものには近づきたくなかったので。
腐ったモノと、記号上でもお近づきになりたくなかったので。
民主主義がどうだとか、選挙というものがいかに大事であるとか、そういうことは頭ではなんとか分かったつもりではあったのです。
しかし、頭では分かっても、体がそれを喜びません。
私は結局、二十歳を超えても「投票に行く」という行為を拒否しました。
ホントにイヤだったんです。薄汚いクズどもが、折り重なって悶えているように見える、選挙とやらに関わるのが。
選挙の時期になれば、無理やりにでも視界に入ってくる背広姿の、
精気だけはみなぎっている、殺してもそのことに気づきもしなそうな、
鈍感そうで、ずうずうしそうな、そんな彼らの姿を見れば、
「三半規管を逆さに取り付けてやれば、まっすぐ歩けなくなった楽しいかな」
などと、陰惨な妄想にひたったものです。
そんな私が、もし私が選挙に行くとしたら、身内がらみだったでしょう。
しかし残念ながら、私の親戚や友人は立候補しませんでしたし、私の一票を映画一回分のチケットと取り替えてくれる候補者も現れませんでした。


私が「自民党」を憎み初めてから、二十年がたちました。
いまだに、私が最後に行った投票が、中学生の生徒会長選挙の時であることに変化はありません。
日本新党というのができたり、新生党というのができたり、民主党というのができたりして、
状況も少しずつ変わっていきました。
いや、少しではないのかもしれません。
なんだか色々あって、一体どこまでが「自民党」で、どこからがそうでないのか。
今となっては、どんどん曖昧になってしまってきています。
私の憎むツラの象徴でもあった鈴木宗夫さんは、北海道で一人党みたいのをやっているようです。
綿貫さんと亀井さんは、仲良く老人党みたいな政党にいるようです。
こいつが悪いヤツじゃなかったら、一体誰が悪いヤツなんだろう、という顔をしている野中さんはヤメちゃいました。
自民党」のエリートそのもの、という感じの小沢さんは、今は「自民党」を叩き潰す側に回っています。
色んな人が立ち位置を変えていって、立ち回って、もう元のままなのは「名前だけ」という感じすらします。
こうなってしまうと、ついつい許してしまいそうな自分がいます。
もう時代が変わったんじゃないかよ。お前が嫌いだった人は、もうみんなどこかへ行ってしまったじゃないかよ。
頭の中で、誰かがささやきます。
そうですよね、二十年もたったのです。
自民党」の若い議員さんなんて、なぜ自分が私に憎まれているかなど、わけがわからないはずです。
「お前らの党の政治家は、昔ひどい顔をしてたんだよ」
そんなことを言われても、彼らは困惑するしかないでしょう。そういえば、政治家の外見は昔と比べて随分スタイリッシュになりましたね。
日本の話ではないですが、ブッシュの息子さんが大統領になった時、「親父の顔から苦労だけを取り除いたようなツラしてんなぁ」と思ったことを思い出しました。


それでも、二十年です。
二十年、憎み続けてきたわけです。
言われがなかろうが、言いがかりだろうが、二十年は二十年です。
つもりつもった感情が、「まだ許すな」と私に命じます。
あの汚いツラをしたおっさんたちはもういないにしても、「自民党」はまだ存在しています。
私はずっと待っていたのです。笑顔で、「死んでね」と言える日を。「みんなそう思ってるから」と言える日を。
全く当選の花が付かない、名前しか書いてない白紙の答案みたいなリストを見る日を。
背広を着たおっさんが、両手と両足を地面に付けて、しわがれた声で泣き崩れるのを見る日を。
それさえ見られれば満足なのです。
本来選挙というのが、そういうものではないことは分かっています。
だから、歪んだ醜い感情をぶつけるのは、これを最後にしましょう。
若い「自民党」の議員には申し訳ないですが、私の二十年に免じて勘弁してください。
なんせ、二十年です。あなたが政治家になる遥か前から、私はあなたの党が大嫌いだったのだから。
でもこれで最後にします。次回はマニフェストというのも読みましょう。
日本の未来について思いを巡らしたりもします。
政策本位で、投票する相手を決めましょう。約束します。


でも、今回はダメです。
私は今回初めて投票に行くつもりでいますが、投票箱に「死ね」と心の中で念じながら投じるでしょう。
思わず投票用紙にそう書いてしまいそうです。「死ね自民党」と書くと、自民党に一票入ることになるんですかね。まぁ、どうでもいいんですが。
そして、そうしている私の顔はおそらくニヤニヤしていると思います。
満足するのは復讐心。お前がなにされたって話なのですが、なんにもされなくたって恨みは溜まるのです。心はささくれるのです。だから、何も生み出さないと分かっていても、思わずニヤニヤしてしまうのです。
選挙の特番から目が離せないでしょうね。待っていたのです。この時を。


そう、満願成就の夜が来る。