「ハチミツとクローバー」羽海野チカ(ハチクロドラマ化記念 コーラス3月号掲載)



ハチミツとクローバー」という作品があって、私はその作品のファンだったりしたわけです。
作品自体は、無事完結して惜しまれつつ幕を降ろしたわけですが、今回テレビドラマになったということで、その記念に雑誌「コーラス」で読みきりが掲載されていました。
ファンとしては、思わぬカーテンコールという感じで、喜ばしかったです。
なんせ、買ったんだぜ。コーラスの3月号。500円。


内容は、「その後の山田さんと野宮」で、山田さんは相も変わらず真山のことを引きずりつつも、無事に野宮とうまくやっているという話でした。
ただ、意外ということもないのですが、今回は完全に野宮の話なんですよね。
かつての主役達は脇に退いて、中途採用の彼が主役を張っています。
まぁ、彼らの話は本編で十分にやった、ということなのかもしれませんね。





「白馬の王子様」という表現がありますけど、この野宮という人は完全にそういう役割を与えられた人なのです。
人一倍察しが良く、我慢強くて、自分の思っていることを正確に相手に伝える能力がある。
王子様としては現役バリバリという感じで、もちろんとても優しいのですよ。
その王子様が、優しく手を引いてあげようと決めたのは、かなわぬ思いをただひたすらに胸に抱き続ける、心の優しい女の子でした。
その女の子は、ひどくはかなげな女の人が大好きで大好きでしょうがない男の子のことを、大好きで大好きでしょうがないわけです。
でも、それは叶わぬ思い。それを見かねた王子様が、影に日なたに、その女の子に支えの手を伸ばすのでした。
やがて、その王子様の存在に気づいた女の子は……
これが、ここまでのあらすじ、というわけですね。


私は、この山田さんという女の子が、叶わぬ思いにものすごく苦しんでいる、というのがものすごく好きだったので、正直なところこの野宮という男の登場は気に食わなかったわけです。
だってさ、つらい思いをしている時に、格好いい人がさっと現れて「分かるよ」と頭をなでてくれれば、そりゃ気持ちいいでしょうけど、「そんなもんかよ」と思うじゃないですか。山田さんが、そんな簡単に救われちゃうっていうのは、この作品にとってプラスなのかよ、と眉をひそめていたわけですね。
で、本編では話が進むにつれて、この野宮という人がどんどんいい人になっていくのですが、それでも私は彼の存在があんまりいいものだとは思わなかったのです。この話には、主役クラスの人物が五人登場するのですけれど、野宮はその一員でもないし、初期の登場メンバーってわけでもない。部活で途中から入ってきた色男が、生え抜きのメンバーを差し置いてヒロインをかっさらっていくわけで、なんともまぁ居心地の悪いことをしてくれるじゃない、という感じでした。
物語の最後で、山田さんの思い人はその願いをかなえて、みんなの前から去っていくことになります。そして、山田さんの隣りには野宮が残り、例え「次の人」である自分が隣りにいたって山田さんの痛みはゼロにならないことを引き受けながら、彼は山田さんの手を引きながら歩いていくのです。
その美しい姿を見ながらね、やっぱり私は「ケッ」と思っていたのですよ。あーあ、結局その線で行くわけですか、とね。


まぁ、自分の意図とは違う終わり方をしたからといって、この作品の価値は全く損なわれないわけなので、今となっては「そういう思いがあった」というだけのことなんですけど。
そして、久しぶりに見た野宮の姿を見て、私は不思議と簡単に受け入れることができたのでした。自分で、「アレ?」と思ったくらい。
当時はほとんど憎んでいたような気すらしていたのですが、今回の作中でキチンと相手の立場に立って話を出来る野宮の姿に、「あらステキじゃない」とすら感じたわけです。
野宮は、せっかくのデートに山田さんの仕事場(と仕事)に付き合わされても、「今日はそういう日だから」という調子で畳の上にごろんと横たわっていられるわけです。そして、「走ることについて語るときに僕の語ること」を取り出して、ページをめくることをちゃんと「楽しく」感じることができるわけです。そして思い出話と近況報告に相槌を打ちながら、人をからかったり、思いを告げたり出来るわけです。
さすが白馬の王子様。一味どころか、産地が違うぜ、ベイビー。


今となっては森田さんのこととかいまひとつうまく思い出せないわけです。
主役クラスだった登場人物五人の内、四人。
狭い学生社会の中で、一人だけスティーブン・スピルバーグみたいだった森田さんのことや、
消え入りそうなほど儚い女の人のことを一途に追い続けて、とうとう追いついてしまった真山のことや、
宮大工という、なんか記号の世界にしか存在していないんじゃないかと思われるところに、簡単に入っていけてしまう竹山のことや、
ミューズに魅入り、魅入られ、ひたすらにその世界に生きるハグのことが。
彼らはもう伝説になってしまって、もう人のうわさにしか出てこなくなってるようなところまで行ってしまっているような感じなのですよね。
そして、そんな中で他の四人と違って山田さんにだけはゆっくりと時間が流れていて、自分のペースで歩いている。今考えてみれば、そんな取り残されていく彼女のために、作者は野宮を用意したのかもしれないと思わないでもありません。うーん、考えすぎか。
それに、山田さん以外はほとんど登場しないにも関わらず、今回の読みきりもやはり「ハチミツとクローバー」そのものでした。
ということは、今回の読みきりに流れている、そういう空気感の方が「ハチクロ」だったのかもと思いもしたわけですね。


そして、今回の読みきりを読み終え、「あぁ野宮いいじゃない」と思った時にハッキリと分かったことがあって、それは「やはりこの作品はもう終わった作品なんだな」ということでした。
「終わる」ということには色んな意味があって、それはもちろんその作品が完結するということでもありますし、読み手であるこちらにとっても「その作品をひとまず終わりにする」ということでもあるわけです。
連載中は、ずいぶんああだこうだ言ったもんでした。学生生活を過ごしている(過ごした)人間で、この作品に何も感じない人はいないんじゃないかというくらいなもので、語りに耐える本当に大したものなのです。(こんなことは、今更私が言うようなこっちゃないわけですけど)
でも、あの時一生懸命に読んだ「ハチミツとクローバー」はもちろん私の中からはなくならないわけですが、あまり好きではなかった野宮を許せる自分を見つけた時、もうこの作品が随分と前に「思い出」の箱に入っていることに気がついたわけです。
今回、遠くに観覧車を見ながら、さわやかな風が吹き抜けていくようなこんな作品はもちろん好きなのですけれど、それは今となっては「あってもなくてもいい」ようなものに思えてしまうのですよね。
この号の表紙には、かつての五人がまとまって写っているわけなんですけれど、実はもう彼らはそこにはいません。
私が奇跡とも思った瞬間はすでに過去で、今さらそれに何か付け加える必要もないんじゃないかなと思うのですけれど。
どうなんでしょう。
そういえば、テレビドラマをやっていることは知っていて、見ようとすら思っていたのですが、いまだに見られてないのですよね。
ま、一人でも多くの人が、「ハチミツとクローバー」を観て・読んで、何か思うところがあってくれればそれで良いような気もします。





本当のことを言えば、仁王立ちする女の子が出てきた瞬間から、「3月のライオン」がようやく面白くなってきたので、そちらをがんばって欲しいなと思うのですよ。