眠れ眠れ

昨日の夜、珍しい人からメールがありました。
なにかと思ったら、「長男が誕生しました!」とのこと。
こんなに、嬉しい報せは久しぶりでした。


体重は3498グラム。
写真が添付されていたのですが、見るとどこか彼と似ているような気がするのが不思議なものです。
なんか、まだ動物と人間のハーフという感じですが、今後はまず健康に、次に幸せに、最後に才能豊かに育ってもらいたいものですね。


この報せを聞いて思い出したのは、今年の春に亡くなった後輩のことでした。
なんの因果関係もないのにね。
つい、「死と生」みたいな対称的なものを並べてしまうのは、私の習性みたいなものですね。
私には、「生きていること=幸せなこと」という価値観は全くないので、「生まれる」と「死ぬ」を対比した時に思うのは、「終わったことの幸せ」と「始まったことで積みあがって行く困難」のことです。
今年も、悲しい事件がたくさんありました。
彼の子供が、そういうものに巻き込まれずに大人になれる可能性って、どれくらいあるのでしょうか?
99%くらい? ということは、100人に一人は巻き込まれてしまうのでしょうか。
もしこの身でよければ、「不幸」との間に挟まってもいいかな、と半ば本気で思うのですが、そうもいかないんでしょうね。
先のことには目をつむり、焦点を近くにあわせて「おめでとう!」と声をかけましょう。
実際のところ、無条件で私も「子供うまれたんだ。嬉しいなー」と思ってしまっています。


しかし、こうやって「生きていたって大変なことばっかりなんだ」と簡単に書いていますけど、やはり生まれたばかりの生命というのはすごいですね。
まぶしいばかりで、なんか直視できない感じがします。
「結婚して、子供を育てて、次の世代にバトンを渡して行くことこそ人類の義務なのだ」と言葉で言われても鼻で笑うだけですが、実際生まれて48時間しかたっていない赤ちゃんを見れば、それをやっていない自分が、なんだか落ちこぼれた人間であることが分かるような気がしますね。
大体、「自分に両親が存在すること」すら、私は忘れがちです。親が死んだって泣かないと思います。「せいぜい、他人様に迷惑かけないように生きてくれや」と思うていどです。
「その人がいなければ、今の自分は存在しなかった」というのは事実なんですけど、その事実は私の心を動かしません。
でも、生まれたての赤ちゃんには、自分と血がつながっていようがいまいが、写真一枚で心を動かされてしまう。
人の心は、おもしろいもんです。
「まずは、無事大きくなってなぁー。とりあえず、早くおっぱい意外のものも食べられるようになろうな」と、小さく写真に向かって声をかけました。


その小さな手が握る指は誰のものなのでしょう。
まだ開かない目に、最初に映る景色はなんなのでしょうか。
ほんとに小さいころ、自分が包まれていた布の感触を、子供は覚えているのでしょうか。
まだ薄い唇も、それほど生えていない髪も、世の中になに一つ所持していない自分のことを、彼はどう考えているのでしょうか。
世界にまだ色がなく、自らの体を動かす術を知らなかったころのことを、私は覚えていません。
彼もきっとそうなるのでしょうが、それでも彼のその時期が、幸せな光で包まれていればいいなと少しだけ思います。
なんででしょうね。


写真の彼は、眠っているように見えます。まぁ他にやることもないのですから、それでいいのでしょう。
実際、寝る子は育つといいます。
幼児は育つのが仕事です。
だから今は、眠れ眠れ。
そして、早く大きくなって、あなたの声を必要としている人に声をかけてあげてください。「あー」とか「だー」とか。