春が来れば思い出す

tanakadaishi2006-04-02

この季節になると、大学の卒業式で聞いた清水学長のお話を必ず思い出します。


ここだけの話、学生時代の私は、もし自分が先生だったら、持っている匙を喉の奥まで突っ込んでやりたいと思うのではないかというような生徒でした。
しかし、やはり大学の先生ともなる偉いもので、こんな不出来な私をよってたかってなんとかしちゃってくださり、極めて低空飛行ではありましたが卒業に導いてくれたのでした。
実際に行ってみるまでその合否が分からない、本当に全く完全に卒業できているか分からない卒業者発表を見に出かけ、そのリストに自分の番号を発見した時には、学校側の「もうなんでもいいから卒業してくれ」という、切なる思いを確かに感じたものです。
正直なところ、入学時の合格発表よりシリアスな瞬間でした。私にとっても、周りにとっても。
そして、卒業式と同日に行われた謝恩会では、感謝してもし尽くせぬほどお世話になったゼミの先生に挨拶に行ったところ、先生は


「お前のようなヤツを卒業させてよかったものなのだろうか」


としみじみおっしゃり、私は言葉も無く、同意を表すためにただ静かに頷いたものでした。
そんな姿を見て、先生は絶対になんか言ってやりたい気持ちになったと思うのですが、それ以上のことはおっしゃりませんでした。
大人だ。


さて、そんなことはさて置き、清水学長のお話です。
私はあんまり人の話に感心することの無い人間だと思っているのですが、このスピーチは本当に素晴らしかったです。
もちろん、大学四年間の末尾を飾るものとして、その感動が増幅されているということもあるかもしれませんが、それにしても素晴らしかった。
周りはそうでも無かったのですが、私は一人感極まっていました。
私は例によって遅刻をし、二階の親族席の最前列に陣取っていたのですが、スピーチの終わりにあたっては立ち上がり拍手をして「ブラボー」と声を上げたいくらいでした(恥ずかしくてできませんでしたが)。
清水学長のお話は、まぁ内容としては月並みなものです。
私たちの大学生活四年間を讃え、これからの人生の輝かしさと困難、そしてその成功を願うというものです。
しかし、その一々が「我が意を得たり」という感じで、私はほとんどショックを受けていました。
大学の先生というのは、授業中実につまらない話ばかりしているのに、冗談も黴の生えた饅頭のような代物なのに、いざ卒業式となるとなんとまぁ素晴らしい話をしてくれるものよと。
おそらく、私は大学四年間で先生方の話に感銘を受けたことが一度も無かったのですね。そして、最後にそれがやってきて、実はその先生が人物であったことに気が付いたわけです。


清水学長の話で、最も印象深かったのはこの部分でした。


「人生において重要なことは二つ。関心事と創意工夫です。これさえあれば、退屈することなどありません」


これを聞けただけでも、卒業できて良かったとしみじみ思いました。
自分の中にある、曖昧模糊としたものが瞬時に結晶化したように感じました。
私は学究の徒ではありませんので、清水学長の仕事の価値というものを全く理解出来ないはずですが、それでもこういうことを言えるということは、それが立派なものなのではないかと思いました。
そして、卒業は決まっても、仕事もやることも決まっていない私に、「明日からもまぁなんとかふふふんとやって行こう」と前向きに考えさせるだけの力がありました。
私は感動のあまり、その日出会う人出会う人に、「人生で重要なものの話」をしたものでした。
多くの人は「ふーん」と言ってうなずいてくれましたが、メモを取っている人がいなかったのは確かですね。無念。


ただ、清水学長の話には一つ恨みがあります。
「できることなら、この話は入学式の時にしていただきたかった……」
そうすれば、もしかしたら先生に「何か言ってやりたい」と思われないような四年間があったかもしれないのにね。
まぁ、そんなことは無いわけですが。


私は清水学長の授業を一度も受けたことがなく、今日に至るまでそのことを後悔したことは一度もありませんが、それにしてもあの卒業式の話は良かったなと今でも思います。