ヤサシイワタシ

後輩のお通夜に行ってきました。
日曜の昼下がりに電話が入り、あわてて向かいました。
誰かの死というのはいつもやるせないものですが、正直なところは、「どうも現実感が無い」ということの方が強いです。
それでも、なんか泣けました。


現場には、たくさんの見慣れた顔や懐かしい顔があり、故人の人徳を感じさせると同時に、それ以上に起こった出来事の壮絶さをさらに印象付けていたように思います。
学生生活を終え、まさに大阪に帰る当日に起こった事故でした。
彼は自分の足で新幹線に乗ることかなわず、車で大阪に帰ることになりました。


親御さんの心境は、察するに余りあり、かける言葉も無く、こちらはただ頭を下げるのみでした。
何かを悼むにはあまりに急な話でした。今でもそうする気にはなれません。
ただ、あちらは寒くないだろうか、寂しくないだろうかと、仕事の合間にふと思ったりします。
衝動的に手を強く握ります。爪が手のひらに刺さります。痛いのは嫌いなのですぐやめますけど。
これが、癖になったらやだな、と思います。


彼は、私が四年生の時の新入生でした。
サークルの先輩・後輩、というありがちな付き合いでした。
家が便利なところにあったので、良く、本当に良く泊めてもらいました。
泊めてもらう、という言い方は正確ではなく、酒を呑んだその夜には彼の家で寝るのが当然だったのです。
それをありがたいと思ったこともなく、宿賃代わりにたまには酒を一本買って行ったり、安い食事を奢ったりしました。
押し付けがましいところもなく、嫌な顔一つで済ませてくれる(というか済まさせる)ので、安心して出かけることができました。
そういう人間は私だけでなく、多くのサークルの人間にとっての、シェルターみたいなものだったのだと思います。
部屋は襖で、本人以外はみんな起きていて、その本人は出入り口をふさぐようにして寝ていた姿を思い出します。
あと、トイレの入り口には「ちゃんと流すように>ALL」という張り紙が張ってありました。
私はちゃんと流していたと思いますが、何か不愉快なことでもあったのでしょうか?


沢山の本を持っていました。それこそ、溢れ返るくらい。
私は「金にならなそうな本棚だな」と思っていましたが、本人の人柄が察せられる棚でした。
マニアックなものから、当たり前のものまで、彼が愛したものが詰まっていたのだと思います。
体系的な収集という枠組みでは収まりきれない、奔放な集合でしたね、彼の本棚は。
とういか、部屋中が本棚のようなものでした。
入りきれない本があふれ出して積み重なり、やがて崩れていました。部屋中のあちこちで、そのプロセスが発生していました。
続き物の続きが無くて、良く部屋中をひっくり返したものです。
そのせいで、余計崩壊してしまうのですが、それを気にするような環境でもありませんでした。
狭い部屋に四、五人で眠ることザラでしたから、それこそ本の上で眠りました。
本好きな人には抵抗があるでしょうが、要は慣れです。
それに、彼は本を愛すること人一倍でしたから、愛にもいろいろあるのです。


私は、本人では無いのですが
彼は、サークルを愛していました。
サークルに所属する人たちのことも愛していました。
ゼミも、学校のことも愛していました。
ネットの向こう側にいる無数の人間のことも。
寂しがりやだったのです。
好きなものが沢山ありました。
嫌いなものも沢山。
天邪鬼でした。
でも、真面目でした。
嫌なことを言われるとふてくされ、本気で怒られるとしょんぼりしました。
後輩には先輩ぶっていました。
そのことを先輩に言われると、苦笑いしていました。
からかわれるのは苦手でした。
でも、相手にされないのはもっと苦手でした。
多くの人間から愛されていましたが、愛されるのはあまり得意ではありませんでした。
もっと、違った愛され方をしたかったのかな。
生活は質素でしたが、そういう意味では贅沢な男でした。


遠くの方から物事を言えば、どうせ大阪に帰る人でした。
何百回同じ朝を迎えた仲だとしても、大阪にいるのならそうそう会いには行けません。
だから、死んでしまうということがいかに劇的であったとしても、その事実が無くなったからといって、状況があまり変わるわけでは無いのです。
大阪は遠い。天国はもっと遠い。それだけの話です。どちらも、遠いには違いない。
ただ、「もう二度と会えない」という言葉だけが、心に重石を乗せます。
手を強く握らせます。
あっちは寒く無いだろうか、寂しくないだろうか。
初めて子供をおつかいに行かせた、親のように心配です。
ふと彼が生き返って、「すいません、アレネタでしたわ」と大阪から連絡してきて、私が「しょうがねーなー」と答えるシュミレーションを三回はしています。
心のどこかで、「それは無いとは言い切れないな」と思っています。
だって、そうだから。
何かのはずみでね、ほら。


大阪で行われる告別式には、うちのサークルから三人出かけるそうです。
私は行きません。
私の思いなど、その程度のものです。
本当のことを言えば、彼を大阪になど帰したくありませんでしたが、彼は当然家族のもとへ帰るべきなのですから、私の思いなど知ったこっちゃないのです。
結局、最後には記憶は泡となって、はじけて、消えます。
遠ざかり、薄れて行きます。
ただそれを待つばかりです。
この無念も、流れる涙も、さしたる意味は無いのです。
ただ、寒いのは嫌だし、寂しいのも嫌だろうと思うのです。
それを思うと、爪が手のひらに刺さるのです。
そういえば、人数は多いのに静まりかえったあの席で、「まるでお通夜みたいだね」というジョークを思いついたのですが、絶対うけないと思ったので言えなかったことを思いだしました。
記念に言っておけば良かった。
彼にはウケたんじゃないかと思うのです。
いや、案外常識人だったから、「やりすぎは良くありません」と言われたかな。
だとすれば、言わなくて良かったな。