「生きていくお好み焼き屋」最終日。(「ケロケロ手帖」 id:hanakaeru様)

お店、お疲れさまでした。
まずお断りしなければならないのですが、id:hanakaeru様は知り合いでもなんでもありません。ご本人が「trackback」をたどってやって来ても怪訝だと思います。ただ、こちらがたまたま一方的に日記を読んでいるというだけなのですが、個人的に一番好きな日記が一山越えたようなので、ファンレターを出してみたくなったというわけです。
こちらの方がお書きになっている「ケロケロ手帖」は、個人的に知っている「はてなダイアリー」の中で「最もタフな日記」として愛読しているところなのですが、その中のカテゴリー「店」は間違いなく一級品の面白さです。
「面白さ」と書くと、「人の日記見て面白がってんじゃねー」ということになりかねないのですが、私の場合「面白い」というのはもうこれ以上ないという最も高い最高度の褒め言葉で、この中には、楽しいも悲しいも嬉しいも哀しいも気持ちいいも苦しいも、ありとあらゆるものが全部突っ込んであるということで、日本語めちゃくちゃですが、なんとか勘弁していただきたいと思います。

うちの店のこともそんなわけで、あまり書かずにおこうと思っていたが、もう閉店間近だしなあと思うと、少しでも日常のエピソードを残しておきたくなってくる。
(2004−5−24)

カテゴリー「店」の内容は、上の引用に尽きることになるわけですが、もちろん重要なのは質ということになります。
id:hanakaeru様のお家は、家業で「お好み焼き屋」をやっておられて、そこで起こった出来事を淡々(?)と書くというのがスタイルです。
「お店」、「家業」とくれば、両親やら変わった客やらが関わってくるその日常を、面白おかしく、時にはホロリとさせるように書くというのがまず真っ先に頭に浮かびますが、この日記は全くそうで無いというのがなんともすごい。
確かに「お好み焼き屋」で働くご本人とその家族や客は登場しますが、彼らが起こすエピソードというのは、なるほど笑おうと思えば笑えますが、それよりもむしろ「理不尽」を感じる現実的なものばかり。それに巻き込まれて、ご本人は「当たり前のことが通用しない」と憤慨したり脱力したりするわけですが、その過程の書き方がなんとも良いのです。
この方の日記の記述法は、「日記を書く際にはほとんど目と耳だけになる」という感じで、自分の置かれている状況から一歩離れたところに立ち位置があるような印象を受けます。「突っ込みたかった」や「マジで脱力だ」という感情に近い言葉もあるのですが、「日記全体の記述」が、こういった感情に巻き込まれていないのには、感心するより他ありません。こういう感覚は特殊な才能だと思いますし、この日記の最大の魅力です(が、これでは日頃の鬱憤は晴れないのでは無いかとも思い、勝手に心配します)。


ご本人不在の中で上のようなことを書いているので、まったく的が外れている可能性が高いですが、「けろけろ手帖」がおもしろいのは間違いありませんので、「日記サーフィン」をしながらこの文章を見た人は、私の日記なんか読んでいるよりは、そちらへお出かけした方が楽しいかと思われます。
(あ、あと「生きて行くお好み焼き屋」は西原理恵子の「ぼくんち」になぞらえて、私が勝手に呼んでいた名前です。別段、ご本人とは関係ありません)