空を見上げて(その14 向井千秋氏・前編)

さて、昨日の若田光一氏はかなりの有名人はでしたが、さすがにこの人にはかなわなそうです。
日本人初の女性宇宙飛行士と言えばこの人。
変わった髪型の旦那さんが今も記憶に新しい、向井千秋氏の登場です。
今時、「サッカー」より「向井千秋」に夢中というのは、変わっていると言うより、もはや気の毒な印象すらありますが、自分のことなのでまぁ仕方が無いです。
正直、ベッカム氏よりは向井千秋氏の方が好きかも。(ベッカム負けたんでしょ? あぁ、負けたのはイングランドか)
珍しく、必死に時事ネタを書いて見たのですが、誰もそんなこと気づかないっぽい。
それがテクニックというやつです(やつでしょうか?)


google:向井千秋
6,860件。これを全部見るのはちょっと、というより完全に無理です。
400件見るのに、二時間かかるとすれば、寝ずに読んでも一日半かかる計算。それをやるくらいなら、宇宙飛行士になって自分で「はてなダイアリー」を書く方がなんぼかマシです。


とりあえず方針を立てましょう。
私の好きなミステリ作家の言葉に、「困難は分割せよ」というものがあります。それにあやかって、google様への質問を幾つかに分けます。それを、頭から200ずつ読んで事足りたということにします。
google:向井千秋
google:向井千秋 -スペースシャトル
google:向井千秋 -宇宙飛行士
「職業上の属性をはぎ取れば、人間性だけが残りがちなはず」という淡い期待が込められているのですが、果たしてうまく行くでしょうか。
google:向井千秋 日記
あ、すっかり忘れていましたが、こちらがこの日記の本質です。多分、向井千秋氏について書かれた日記をいっぱい読めると思います。はは、はは。
それでは、始めます。


(宇宙ステーションキッズ 向井千秋)

・素敵なお医者さんになりたい
向井宇宙飛行士は、1952年、群馬県館林市で生まれました。彼女は十歳(さい)のころからお医者さんになりたいという夢を持っていました。また、小さいころから運動が大好きで、中学のころはソフトボールやバスケットボールをしてかけまわっていたそうです。高校時代には真剣(しんけん)に受験勉強にとりくみ、医学部に進学しました。大学時代はスキーに熱中するとともに、患者(かんじゃ)さんに「いつもいてほしい」と思われるような良い医者になろうと努力したそうです。

「真剣に受験勉強にとりくみ」という部分が浮いています。普通、こういう風には書きません。「高校三年生の時は真面目に勉強しましたよ」とか、そういう発言がこう変換されているのでしょうか。それとも、書いた人の医学部に対する思い入れでしょうか。

趣味(しゅみ) スキー、アルペンスキーバス釣り、写真、スクーバダイビング、テニス、ゴルフ、アメリカ文学、旅行

こっちは、「アメリカ文学」がちょっと気になります。かなり制限されています。アメリカ文学と言えば、ヘミングウェイ…… あぁ、マーク・トゥエイン…… もう打ち止め。恥ずかしいですね。あ、村上春樹


今度は、大人ページへ。
(JAXA宇宙飛行士のプロフィール 向井千秋)
慶応大学卒ってこと意外、何も目に入ってきません。
ちなみに、「国際宇宙大学」はこちら。
http://www2.jsforum.or.jp/event/isu/
「宇宙関連分野で活躍するために、1987年に設立された国際的な高等教育機関」ということです。

■ 応募資格:
(1) 2002年5月現在、日本に居住する4年生大学卒業またはそれと同等以上の教育機関を修了している方(35歳まで)
(2) TOEFL(ペーパーテスト580点以上/コンピューターテスト237点以上)またはTOEIC(700点)以上の方
(3) 2002年夏期セミナーに全行程(6/29から8/31)参加できる方
※ 帰国後、報告書の提出及び2003年夏期セミナー(SSP2003)説明会での体験談発表が義務づけられています。

上は、NASDAのプレリリース。募集していたようです。なんで一般の人を募集するんだろう。NASDAの人が行けばいいのに、って思うのは私がおかしいのでしょうか。別にいいですけど。それとも、ある種のスカウト活動なのかな?
ちょっと見ましたが、別にいかがわしいところでは無いようです(何でも疑ってかかる癖は良くないですね)。2001年の「サマーセッション」というところには、5人の日本人が出掛けたとあります(参加者総数は95名)。
(みんなの先輩が国際宇宙大学に!)

昔から、YACの機関誌で国際宇宙大学の文字を見たことがありました。そのころはなんのことやら、大学院専用の大学といわれてもわかりませんでしたし、外国の大学に行くなんて夢みたいな話でした。

NASDAから、国際宇宙大学の夏期セミナーに出掛けた人のコメント。これは2002年の出来事。
うーん、深入りしすぎてますね。この人はかなりアグレッシブな方で日記は結構おもしろく、その後どうなったのか知りたくてしょうがないんだけど諦めましょう。博士前期課程1年、ということはまだ学生さんかね。(すいません。適当です)


向井千秋氏には旦那様がいらして、えーと、ユニークな感じの方だった記憶があります。というわけで旦那。
(NTTファシリティーズ スペシャルインタビュー)
どっかで見たことあるなぁーと思っていたのですが、スネオヘアーだ。髪型。
この人の記事が、本当にたくさん出てきます。見た目どおりのおもしろい方のようですか、今の場合邪魔です。
いっそ引いてしまいましょう。


google:向井千秋 -向井万起男


(◎「LINK」第4号・巻頭インタビュー )

一般的な教育の面からいうと、日本て「同じであること」を珍重しますね。みんなの共通項を探しましょう、という。自分の行動が周りの人と同じでなければ、「毛色が違う」と、出る杭は打たれる。同じ規格にしようという方向性があります。

「珍重」という言葉の使い方が面白かったので、ついチョイスしてしまいました。この方は、もう自分が日本的なコンセンサスの中にはいないと感じてらっしゃるっぽい。えーと、イメージ通りです(笑)。
インタビュー自体は、普通におもしろい程度でしょうか。


(j.people.com)
提灯ですが、珍しかったので。
中国の宇宙飛行士についての記事は始めて見ました。


(幸手市のハッピーハンド事業)

ハッピーハンド事業とは、その年にあなたを一番幸せにしてくれた有名人(日本国籍)を皆様の投票で選び、私たちがその有名人の手形をもらい、幸手市役所に寄贈させて頂いております。また、1988年より、スタートし今年で15年目(30名)になる事業です。幸手市の名前にちなんで、幸せの手の街から命名しておりますぜひ、ふるってご投票してください。

面白いんだが、面白くないんだか微妙な企画。2002年で止まっているところがキュートですが、コメントはしづらいです。
本質的にはラーメン屋のサインと同種のような気がするのですが、幸手市役所がこの企画をどう位置づけていたのかというのは、かなり気になるところです。
手形をもらえた人と、もらえなかった人の名前をじっくり見比べていると、境界線がなんとなく見えてくるのが面白いところ。
(幸手の新しいシンボルは「ハッピーハンド」?!)

これはもともと青年会議所の「ハッピーハンド事業」の一環から始まったもので、市民投票によりその年にもっとも幸せだった有名人を選び、その方の手形をもらいます。

「今年あなたは幸せでした」といきなり決めつけられてしまうのはなんだかすごいことですが、趣旨は理解できるような気がします。あと、松たかこ氏からは手形がもらえた様子。良かったね。
ところで、なぜ、えなりかずき氏が「幸せ者」として市民投票で選出されているのか、理由が思いつきません。別にえなり氏が幸せじゃないと言っているわけでは無くて、「もしこういう投票があったとしても、自分はえなり氏に投票できない」というわけです。結婚してないよな。メダル取って無いよな。なんでだー。


http://www.tv-asahi.co.jp/best/updating_dex/ranking/020.html
ほんの一行ですが、小ネタを。

向井千秋さんは石原裕次郎さんの担当医だった

へーーー。


スケジュール的に「超押してる」、というよりもはや明後日ですが、この話は火曜日に続きます。