一度、宇宙飛行士の日記を読んでみたいと思っています。

唐突にこういうことを書き始めると戸惑われる方もいると思うのですが、勘弁。
今まで「ヘルプ」「ガイド」を読んできた感想ですが、これだけのシステムを構築して、4万人以上を向こうに回して運営しているというのはなんだか途方も無いことです。
こういう、ネット日記(「はてなダイアリー」トップページの言葉を借りれば「ブログ」ですか)のシステムというのは素晴らしいアイディアに充ち満ちていて、例えば相手にリンクを張った時にアナウンスが行くとか、テキストのキーワードに直接リンクを張るとか、そういうことを思いつくのは、私個人の感想としては天才の所業としか思えません(おそらく、「こういうことをしたい」というより「こういうことが出来る」という発想から生まれているように思えるのですが)。
私は、こういうものの進歩に全く詳しくなく、最近知ったものからの逆算・推測することしか出来ません。今ある要素というのは、沢山の試みの中から淘汰・洗練といった過程を経て残った、良いもの・強力なものなのでしょう。しかし、それにしても良く出来ている。感心を通り越して、感動します。
どこが「おとなり」なのか良く分からない「おとなり日記」も、「なんかおもしろいだろう、これ」という気持ちで出来た仕組みだというのは伝わって来ます。おそらく、この「はてなダイアリー」をデザインしている人(たち)は、そこに並んでいるキーワードをクリックして欲しいんでしょう。「せっかくだから、他の日記も見てってよ」とこの仕組みは言っています。


長くなっていますが、もう少し。


日記を紙の上から引きはがし、キーワードという名目で連帯させた「ブログ」というものの力は計り知れないように思えます。
自分はトップページの「最新日記一覧」を、上から順にその日の分だけ読むのが好きでちょこちょことやっているのですが、そこには信じられないほどたくさんの言葉があります。
例えばある日記では、残業で遅くなった旦那さんがまずシャワーを浴びて、奥さんの手作りの晩ご飯を食べ、すでに寝てしまった子供たちの顔を見て「この子たちのためにがんばろう」と書いてあったりします。これだけならば、ただの「8mmで取った子供の運動会」を見せられているのと大した違いはありませんが、驚愕すべきはその日記をアップロードした途端、たちまちの内に何人かの方が、顔文字入りでその日記にコメントを付け始めたことです。それを見ながら私は呆然としていました。なんだか、信じられないものを見た気になりました。
「これなら、書いても書かなくても一緒じゃないの?」
と、つい思ってしまう日記というのは数多くあると思います。そういうものを、「つまらない」と言って断罪するのは驚くほど簡単で、あながち間違いとは言えないように感じるのですが、それでもその「旦那さん」は彼の言葉がきちんと届く範囲で声をあげていたのだなと思えば、自分の傲慢さを思い知らされざるをえません。
おそらく、極めて少数の人間がキーワードをクリックした時だけ一瞬目を通していく私の日記と、アンテナを張って更新を待っている人がいる日記では、自分の価値感では後者の方がより高級です。なれ合いですが、大いに結構だと思います。ツールとしての最高のポテンシャルを発揮させているわけでは無いですが、完璧に用途を満たしています。
「その旦那さんとコメントを寄せるみんな」のような繋がりがほんの一部であることは疑うべくも無いのですが、それでも、それでもそのなんだ、このシーンを見て「来る」ものがありました。
何度も見るものでも無いので、その日記のタイトルは覚えていませんが、「これもブログか」と強烈に印象づけられた体験でした。


とりあえず、日記を初めて1ヶ月がたったので、これを機会にその間に思ったり考えたりしたことを書いておきます。
私の持つわずか1ヶ月分の言葉で、「はてなダイアリー」のサーバーにある大量のログの蓄積に相対するのはそれだけで無理な話なのですが、そのはじっこに連なる者のささやかな感謝を込めて。


いや、ほんと面白いんですよこれ。情報だけ欲しければ、「google」にでも話しかけてればいいんです。あの窓の向こうには、それこそ死ぬほど沢山の情報が、日本語に限らずにあらゆる言語の下で眠っています。それに、日記だけ書きたければプライベートモードにすればいいんだし、キーワードを全部切ったっていい。でも、あえて、「はてなダイアリー」のような仕組みの中でものを書くということのおもしろさというものが、間違いなく存在します。
長くやっていって、ある時そういったものがわずらわしくなるんだろうなぁと思うこともありますが、今はやっぱりおもしろいですね。これ。
手を振ったら、答えてくれたりするんですよ?


……そう。どう考えても、これが面白くないはずがないんです。
とても良く出来ていて、しかも向こうに人間が座っている。