「ヤサシイワタシ」全二巻(ひぐちアサ 講談社)



破天荒で、難しい女の先輩がいて、それに男の子が振り回されて、最後にその先輩が自殺する、という話です。


これだけだと、「なんだ、またそんな話かよ」と思われるかもしれませんね。
じゃあ少し足しましょうか。
その女性の名前は唐須弥恵と言って、写真部に所属しています。主人公はその後輩。主人公の男の子と始めて出会った時は、タイから失恋旅行から帰って来た直後で、直接の面識はありませんでした。弥恵は水洗中に出かけてしまい、開けっ放しにした蛇口から流れ出る水は、やがて漏れ出して、部室の下の階に降りかかってしまいます。たまたまその場に居合わせた主人公は、代わりに謝るはめになります。その後、いくつかの出来事があって、二人は付き合い始めるのです。


主人公と付き合ってるヒロインなのに、なんで自殺しちゃうんでしょうね。
それはですね、
結局、主人公と弥恵はうまく行かないわけです。人間だって、二十歳を超えればいろいろあって、それに弥恵という人は結構むずかしい人なのです。「むずかしい」といっても色々あるわけですけど、この弥恵という人はいわゆる「厄介な人」です。現状に満足できず、トラブルメーカー。尖っていて、それでいて脆い。そんなの誰だってそうじゃないか、という意見はそのとおりなんですが、まぁ過ぎるのも考えもの、そういう感じの人です。
主人公と初めて夜を過ごした次の日、そのことを同じ部活の人間に触れ回ったり、
自分の付き合ってた男の写真を持って、出版社を回ってしまったり。
ね、「少し」厄介でしょ。
主人公は真面目な子で、そんな弥恵と一生懸命に付き合って、やがて本気でぶつかって、二人の関係は正確に壊れていくのです。


そして、すったもんだがありまして、
半年間、弥恵は写真部から姿を消します。
次に彼女が現れるのは、主人公の携帯電話。同級生からの、死の報告。





「誰かの死」みたいな話になると、どうしても「切ない」とか「苦しい」とか、そういう収まりの良いところに収めがちなわけです。
でも、この話は確かに苦しくて切ないのに、そういう明快さとは正反対の位置にあります。この話、特に二巻は「人の死ってそういうもんじゃないよね」、と繰り返し繰り返し話かけてくるようです。
人は死んだからって善人になるわけじゃないし、厄介な人は厄介なんですよ、ホント。でもその人が生きていた事実は無くなったりしないし、死ぬことで体ごとぶつけられたような気にさせられたにも関わらず、その相手はもういない。そういったことを、丁寧においかけて行くことで、話は進んでいきます。お葬式を中心にして、一斉にその人に向かって周りの人間が振り返る。そこには、登場人物の数と同じだけの断面があって、そこに映る像はどうしても歪んでいたり亀裂が入っていたりするわけですけれど、それでもその人の眼に映る像であることには違いない。
「あの人はいい人だった」と言いたい、
「あいつはバカだ」と言いたい、
「友人として好きだった」と言いたい、
「ワガママで嫌いだった」と言いたい、
その言葉には嘘はないんでしょうが、そこには自殺するほどの当人の苦しみに対する理解はありません。
というか、作者は「その苦しみが私には分かるよ」と言ってはいけない、と考えているのでしょう。
だから執拗に、様々に角度を変えて、なるべく誠実に、「一つの死」について描いたように私には思えました。
(それって、突き詰めて行くと、その人の人生には無駄な部分ってのはなかったんだ、ということじゃないですか)


これだけ書くと、主人公の男の子の存在感が皆無ですね。困りました。
もちろん、この話の魅力の一つに、弥恵に対する未練たらたらの主人公のモノローグがあるのです。
でもね、この作品の特徴を一つ挙げろと言われれば、この弥恵という女性が発する輝きなのですよね。
そして、なぜ弥恵が輝くかと言えば、この人が力尽きるように消えていくからです。
ひぐちアサも、なかなか酷なことをしますよね。
この作品の中では、主人公ですらオマケなのです。その苦しみは深く、


「オレは あの人の中に いたのかな
 死ぬ準備をしている間 オレを思い出したかな
 全てをやめたくなるほど誰かの力をうばってくって 知ってたかな」


と、ほとんど崩れ落ちそう。
ということは、読者だって蚊帳の外なわけで、主人公をわが身になぞらえて苦しむことになります。
この作品の極めて優れた点はここで、読者の没入度の高さ(特に二巻)、
誤解を恐れずに書けば、多くの読者が苦も無く主人公とともに苦しむことができるところにあるのではないでしょうか。
(この、誰の身にも「あること/ありえること」を描く資質は、「おおきく振りかぶって」でそれこそ大きく花開くわけですが、まぁその話はいいか)


しかし、改めて読んでみると、台詞がいいですね。
それほど目新しい設定ではないのに、場面がもちますもん。
作者が作品と必死に向かい合った結果なんでしょうけど、弥恵の女ともだちと主人公の会話なんてスゴイです。
頭の中でたくさん考えることは誰にでもできますが、そこから何を取り出すかがセンスです。
ひぐちアサは、センスがあります。