「新本格」について

この、最早手垢が付きすぎて死語になってしまったような単語を久しぶりに聞いたのだが、これを一言で説明しようとするのは結構難しい。(そもそもワンワードだしね) 骨壺から、骨を取り出すつもりで行きましょうか。
電話で聞いた感じでは、島田荘司を基点とした、講談社ノベルスを母体とした一連の作家郡の話を聞きたいのかと推察したので、そのあたりを適当に書こうと思う。間違っても、「幻影城」とかそういう時代の話じゃないのは分かりきってるしね。ただし、私が「いわゆるミステリー」を読み始めたのは大学一年の時で、その頃には既に京極夏彦がデビューしており、「新本格(ネオ・クラシック)」という言葉は既にかなり劣化していたと思う(今考えると)。ということは、当時から既に思い出話気味だったということで、私はそういう言葉がはやった時期の最後の方にやってきた読者であって、「占星術殺人事件」の袋とじを切ったとか、「十角館の殺人」を「人間が書いてなくて何が悪い」と口角泡飛ばした最前線の人間では無かったということは分かってね。


じゃあ、なにから始めるかと言うと、「いわゆる新本格」の書き手が誰かと言う話をします。当時のウチの大学ミス研の範囲で言えば、「綾辻行人法月綸太郎我孫子武丸麻耶雄嵩」。京都大学のミス研(正確にはなんというのかは知らない)所属の人たちを指したと思う。基本的に、京都大学で無ければ「新本格」とは呼ばなかったように記憶している。まぁ、これはローカルな話なので事実とは異なるのかもしれないが、その感覚は私の中では今でも運用中だ。で、どうして彼らだけが「新本格」かと言えば、彼らがただ本格ミステリーを書くだけではなく、島田荘司の推薦を受けて世に出たという付加価値が「新本格の作家」と呼ばせたという面があるからだ。だから、ほぼ同時期くらいから活躍している有栖川有栖あたりの創元社からデビュー組は、「新本格」とは呼ばなかった(私はね)。それじゃあ、島田荘司の推薦で世に出た歌野晶午あたりは「新本格」と呼んでいいのでは無いかというとそうではなく、おそらく歌野は「いわゆる京大組」では無かったから「新本格」では無かったのだと思う。だから、京都大学だけど、島田荘司の推薦で世に出たわけではない小野不由美も違う。清涼院流水も違う。阿井渉介も違う。
私は直接見たわけでは無いので事実かどうかは定かでは無いのだが、「新本格」というネーミングは、島田荘司が新人の本格ミステリーを書く作家を売り込むために付けたキャッチフレーズ、つまり「ラベル」だったという話もある。実際、腰巻にそう銘打たれていたそうな。ということは、講談社ノベルスで出版された際に「新本格(ネオ・クラシック)」という帯が付けられた本を書いた作家が、「新本格作家」ということになるのだろう。そして、その対象となったの人たちの中心が京都大学ミス研出身の作家たちだったのは想像に難くないわけだ。きっとそうだ。賭けてもいい。
「京大ミス研+島田荘司」=「新本格」という図式で話を進める。ただし、セールス的に成功しなければその「ラベル」は機能しないわけで、おそらく「新本格」は成功したのだと思う。そして、その成功が、わずか数人しか対応しない特異な作家的なまとまりを、まるで「運動」のように大きく見せたのではないかな。彼ら「いわゆる京大組」は、その「新本格」というブランドネームが効果を発揮するほど、ある一時期にまとまった仕事をし、そして輝きを失っていったというわけだ(そしてつい先日、「暗黒館」になるというわけ。なるほどね)。
当時の「新本格」周辺のミステリーというのは、島田荘司がお父さんで、笠井潔がお母さんだったのだと私は認識している(父母はどちらが担当でも構わないけど)。その子供たちが、「新本格」。ただし兄弟(京大ね、上手い!)の仲が良かったので、ほかの人たちは入れてもらえなかったのだ。彼らとその作品が、どれだけ「ミステリーのファン拡大」に貢献したかというのは実は疑問なのだけれど、実際、「新本格」というブランドはあったと思うし、当時は読む優先順位も高かったよ。


果たして「新本格」と呼ばれることが付加価値だったのか、とか、若い本格ミステリ作家が書けば「新本格」じゃないのか、とか、そもそも「本格」ってなんだとか、いろいろある。「新本格」の適応範囲についても、もっと広く取る人は多いだろう(実際、そっちの方が多そうだ)。この辺りの話はちょっとつつくだけで話したいことのある人がたーーーーーくさんいるので、少々怖いところだ。フォーカスもきついので、ちょっと言わせて欲しい人も多いはず。
えーと、もし一言ある方がいらっしゃいましたら、遠慮なく多言よろしくお願いします。↑のようなことを知りたい人がいますので。


あと、ちょっと気になることがあるんだけど。
これは私の邪推なのだが、
新本格メフィストファウスト という、講談社ノベルスを中心とした新しい商業文学の流れ」
みたいなことをやろうとしてるんじゃないかと頭をよぎった。
そういう頭のいいことをやろうとすると、図式化するだけで取りこぼすよ、と助言。
小説は書いたり読んだりするもので、それ以上のことをやろうとすると、猿回しになったつもりが猿そのものになるとアドバイス
新本格」と「ファウスト」は、出版社以外は別物だよ。ヴァン・ダインヴァン・ヘルシングくらいの差がある。


まぁ、それはいいとして、なんかの役に立っただろうか。
ミステリの話をするなんて久しぶりだな。飲み込めない部分があったら、説明するから連絡ください。しかし、googleかけないとさっさと済んでいいね。推敲したいけど、面倒くさいみたい。質問には対応するので、そこんところよろしく。