空を見上げて(その11・遅刻です)

宇宙飛行士の日記捜索も、ようやく4人目となりました。
JAXAは「聡」という字が好きらしく、今日の方で早くも2人目です(一人目は古川聡氏)。
こじつけもここまで来ると辟易ですが、話のマクラを書くのは本当に大変なのです。お察しください。


で、今日の宇宙飛行士は野口聡一氏。
例によって、「宇宙ステーションキッズ」から入りましょう。
(宇宙ステーションキッズ 野口聡一宇宙飛行士)

・乗り物好きなふつうの少年
野口宇宙飛行士は、1965年、神奈川県横浜市で生まれました。子供のころは、学校の帰りにイネかりの終ったたんぼで野球をしたりして、広いところで遊ぶのが大好きでした。 また、乗物に興味があって、電車、飛行機、ロケットなどに関心が移っていきました。宇宙を舞台(ぶたい)にしたアニメなどは見ていましたが、このころはまだ宇宙飛行士になりたいとは思っていなかったそうです。

これを書いた人間の、「えー、ヤマト好きじゃないのー」というため息が聞こえてくるような文章です。
「そりゃ少しは見てましたが、別にそれほど好きじゃ無かったです」と断られたのでしょうか。

・きっかけはスペースシャトル
野口宇宙飛行士は高校1年生のとき、スペースシャトルの初飛行を見て、 これからはふつうの技術者でも宇宙で活やくできる時代になると考えました。 このときから、自分もいつかは宇宙に行きたいと思ってきたそうです。 そして高校3年生のとき「宇宙からの帰還(きかん)」という本と出会い、 宇宙飛行士になる決心をしたそうです。

「宇宙からの帰還」は、立花隆氏が「実際に宇宙に行った宇宙飛行士」を材に取った、インタビュー集のようです。
紹介によると、「人類の意識をスピリチュアルに拡大することによって、人類は進化史上の飛躍をとげることができる」そうですが、何をおっしゃってるのかさっぱり分かりません。人を宇宙に導くほどなので、内容はきっと、もっとシンプルに面白いもののはず。
この文章は、「スペースシャトルが現れたことによって、宇宙飛行士という職業がグッと身近になった」と読むことができるのですが、どの辺が革新的だったんでしょうか。上に向かって細くなっていく鉛筆みたいなロケットに比べて、「画期的に沢山の人や荷物が運べるようになった」というのを思いついたのですが、もちろん単なる思いつきです。


少々食いが足りないので、もう少しプロフィールっぽいものを探してみましょう。
なぜか野口聡一氏が宇宙に行ったことがあると錯覚していたのですが、それは全く正確では無かったようです。
(分類・宇宙飛行士 野口聡一)

2003年1月に打ち上げられる予定のスペースシャトルSTS-114へ搭乗することが決まっています。

とあれば、もうとっくに宇宙に出掛けていそうなものですが、同じページの下の方を見ると

3.どれくらいの時間、宇宙を飛んでいるの?
 まだ飛んでいません。

予定は未定なのね。


こちらは、「宇宙飛行士試験攻略法 その1」
(野口聡一さんはボーイスカウト隊員でした。)

野口聡一さんは父親の転勤で4歳から小学校5年まで兵庫県揖保郡太子町でカブスカウト隊員としてボーイスカウト活動を体験され、子供の頃からあこがれた宇宙への夢を実現されました。ご本人談で、厳しい宇宙飛行士の選抜で重視されたポイントは小学校から続けているボーイスカウトだった。と語っておられます。

志望者はご参考あれ。女性はなれませんし、もう間に合わない方が大部分だと思いますけど。
あと、ボーイスカウトは6年生からなので、正確な言い方だと「カブスカウト活動」だとも思いますし、「ビーバースカウト」は当時は無かったのではないかと思うので4歳から6歳まではどういう活動だったのかは不明です。でも、ビーバーの副長さんをやっておられたということは、労を厭わない方だというのは伝わってきます。(なんだか分かんないね、読んでる人は)


などと言っていたら、それどころではありませんでした。
(知っていますか?)

アメリカにあるスカウトのホームページでしらべたら、今までにやく300人の宇宙ひこう士がいて、そのうちの200人がスカウトでした。ガールスカウトであった人もたくさんいます。はじめて月をあるいたアームストロングさんも、アメリカのスカウトだよ。すごいですね。
どうしてスカウトが多いのかな。お家の人や、リーダにきいてみようよ。

お家の人に聞いてる場合じゃ無さそうです。(聞かれても困るだろうし)
記述の正確性は知りませんが、アメリカではスカウトで無い方が少数派だって。おもしろいね。
「Hey! Youはスカウトだった? ん、違うの? じゃあ、君はあっちだね」と部屋の隅の方を指さされるということが起こらないように、もしこれから宇宙飛行士になる方は、「なるつもりだった」とか「なりたいと思っていた」くらいは主張しないといけませんね。

2003年の春に、宇宙へ向かう予定であった野口聡一(のぐち そういち)さんはボーイスカウトなかまです。ひこう士をえらぶテストで、ボーイスカウトであることでえらばれました。

ボーイスカウトで無ければ選ばれなかった」というくらいの勢いのある記述ですが、まぁ微笑ましいです。
野口氏ご本人も喜んでいるはず。なんかね、変な帰属意識があるんだよ、スカウトって。


(野口聡一宇宙飛行士からのメッセージ)
こちらは、JAXAの近況報告ページ。
野口氏が宇宙へ行けない理由の一つが、コロンビア号の事故であることを察することができます。(私にもなんとなく記憶があります)


(ご本人インタビュー2004年1月)
思うところが無いわけ無いよなぁ。という、見方になってしまいますね、どうしても。
ところで「無重力下での耐熱タイル修理の訓練」の映像は結構衝撃的です。


(東大2003 現役東大生による東京大学情報本)
すっかり忘れていましたが、こういうネタもありました。
「スカウトだった確率」より、「東大だった確率」の方が高いですね。「さすが!」と言うべきなのか、「さすがに……」と言うべきなのか。どちらにしろ東大は東大ってことです。


(日清の宇宙食開発)
(おらが町・英雄列伝)
(愛知万博がらみ)
その他、「どんぐり」やら「箒スギの種」をシャトルに持ち込むという話もあります。なかなか、大変。
おそらく、次ぎにスペースシャトルに乗る人はこの人で鉄板のように見えます。実際に宇宙飛行が見えているだけに、あれやってくれ、これやってくれと言われんだろうなぁ。
当たり前の話なんですが、宇宙へ行くっていうことは、ただ宇宙へ行くってことにならないんだよな。(だから面白いのですが)
行けば全てが解決するというわけでは無いのでしょうが、色々解決することも多そうです。
まぁ、色々連れて、早く宇宙へ行って欲しいなぁと思います。


で、
古川聡氏は少なくともgoogleに引っかかる形では日記を書いていないようです。
まぁ、そうじゃないかと思っていました(もしかして、これをあと5回書くのか?)。