空を見上げて(その16 毛利衛氏・前編)

さて、いよいよ真打ち登場ですね。
日本で宇宙飛行士と言えば、結局この人ということになります。毛利衛氏の登場です。


かつて、秋山豊寛氏が日本人初の宇宙飛行士として打ち上がって行ったことに喝采を送ったと書きました。(もうちょっとエグイ表現でしたが)
しかし、まぁこれまで7人のJAXAの宇宙飛行士を見て来て、若干考えが増えました。(別に誤記じゃありません)
ここまで登場したJAXA宇宙飛行士の方々は、相当プロテクトされた状態だったとはいえ、十分に魅力的な存在でした。
そして、その人たちは「日本の宇宙開発」という点で、確かに一本の紐でつながっていると私には思えました。
秋山氏が宇宙に上がってから、TBSが宇宙開発に民間の立場から一石を投じたという話は聞きません。ということは、あの「日本人第一号」の打ち上げはやはり、一度きりの祭りだったということになります。
お祭りは確かに楽しいですが、時間的には日常に比べて遙かに短いものです。日々、「宇宙飛行士」として生きなければならないJAXAの宇宙飛行士の方が、切実さにおいて勝っているかなと今は感じています。


結局、「一度知ってしまえば、嫌いになることなど出来はしない」ということなのかもしれませんが、今はまぁ独立行政法人はともかく、素直にその現場にいる人に「がんばれよー」と遠くから声をかける気になったということです。


たちどころに毛利氏の話から遠ざかって行くのは私の悪い癖ですが、ようするに「ミスター宇宙飛行士」の話です。
一番乗りこそ他の人に譲ったとはいえ、日本人宇宙飛行士のイメージはやはりこの人が作ったと思います。
あくの抜けた顔立ちに、中肉中背のいかにも学者然とした佇まい。テレビに映れば、いつも笑顔。
JAXAの偉い人が、「全日本の人に、宇宙飛行士に対して好感を持ってもらうためにこの人物を選んだ」と強弁すれば思わず信じてしまいそうな人です。
そりゃ、裏には徹底したプロデュースがあるのでしょうが、それを差し引いてもなぜか私はこの人に好感を持っています。
なぜだ、毛利氏。


google:毛利衛
とうとう、10,000件突破です。もちろん宇宙飛行士としては最多ですが、これは多いのでしょうか、少ないのでしょうか。


それでは、いつものページから始めましょう。子供のために語られる、毛利衛氏とは。
(宇宙ステーションキッズ 毛利衛宇宙飛行士)

毛利宇宙飛行士は、1948年、北海道余市郡余市町で生まれました。子どものころから化学実験が大好きで、中学校や高校では理科クラブに入って、放課後になるといつも実験をしていました。また、小さいころから宇宙にうかぶ星に興味をいだいていて、いつか宇宙に行ってみたいという夢をなんとなく持っていたそうです。

ちょっと強引です。「化学実験が好き」というインドア性と、「宇宙が好き」というアウトドア性を両立させるための苦労の記述でしょうか。ちょっと同情します。

毛利宇宙飛行士は、大学を卒業して科学者になってからも、心のどこかで宇宙へ行きたいという夢を持ち続けていました。そして宇宙開発事業団(現在は宇宙航空研究開発機構)が初めて日本の宇宙飛行士を募集(ぼしゅう)する というニュースを見たとき、迷わず応募(おうぼ)したそうです。その結果、毛利宇宙飛行士は1985年8月に向井千秋さん、土井隆雄さんとともに宇宙飛行士に選ばれたのです。

特に宇宙に出掛けた三方についての記述なのですが、とにかく二段目がひどい。「漠然としていた夢が、JAXAに応募することでかなう」というストーリーラインが曲げられないのでしょうが、もうちょっとどうにかならないものでしょうか。毛利氏の人となりが全く伝わってこないのが残念。


例によって大人ページへ移ります。
(JAXA宇宙飛行士のプロフィール)

専門は真空材料表面科学および核融合炉壁材料。

素人なもんで、これが宇宙でどう役に立つのかサッパリです。「真空」とか「炉壁材料」とか、確かに宇宙船とは関係ありそうなのですが。

また、日本の子ども達に向けた宇宙授業では無重量の不思議を宇宙から初めて生中継する。

ようするに、これのイメージが強力なのでしょう。「子ども達に向けた」なんて書いてありますが、きっと大人だってそれ以上のことは分かりゃしないのです。判らないことがバレると子どもにバカにされるので、後ろでわかったふりして頷いてるだけの話です。まぁ、でも本当に分かってる人ならすごい楽しめるんだろうな。なにしろ、初物ずくしなんだから。


(しょうがっこう5ねんせいのさくぶん)

学校に帰って、西澤先生がびっくりする物を見せてくれました。 それはサインです。毛利さんのサインです。なんてうれしいことでしょう。5年生でよかったとこころのなかで思いました。今日一日は大人になっても、死んでしまってもわすれません。1生に1度しかないことかもしれません。いい経験になったと思います。

「死んでしまってもわすれません」は、相当レベルが高いような気がします。ちょっとした才能があるか、それとも大人の手が入ってるかどっちかですね。


(中国的毛利衛先生)
毛利先生曰、

中國‘神舟’五號飛行成功讓人感到非常高興,我對中國人民的自信和勇氣表示崇高的敬意。

なんとなく分かるのが、漢字の良いところですね。
ところで、中国語で宇宙飛行士は「宇航員」のよう。そのまんま、かな?


なんだか、立て続けに興味深いものを見せられています。ラッキー。
これもなんだか、なかなか。
http://www2.jyose.pref.okayama.jp/cec/rika_tikyutoutyu/05_rikajikken/01_mujuryoku/idx1206153154.htm
出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/
読んでのとおり、画像です。無重力って、やっぱりすごいよなぁ。


(ご本人が語るプロフィール)
これは、もちろん面白いです。
なんと、八人兄弟の末っ子だとか。
「もう、何百回も話たんだろうなぁ」と思うと、直接聞いてみたいな。磨き上げられた珠のような出来映えのはず。落語みたいなもんだよね。

母が生まれたのは一九一〇年(明治四十三年)です。有名なハレーすい星が七十六年ごとに地球に近づく年だったんだよ。母は、その星に乗ってこの世にやってきた、と幼い自分によく語ってくれました。

揶揄するつもりは全く無く、私もこういうお母さんになりたいわぁ、ホントに(男ですけど)。


(毛利衛氏 深海へ)

今年の3月13日、宇宙飛行士であり日本科学未来館の館長を務める毛利 衛氏が、海洋科学技術センターの有人潜水調査船「しんかい6500」に乗船し、沖縄・南西諸島海溝の水深6,500mへ潜航した。

主な研究目的は、有人潜水調査船内の海洋閉鎖環境と宇宙船内の宇宙閉鎖環境とで有人活動環境を比較すること、だそうな。
分かるような、実は分からないような微妙な話だよね。
しかし、この方の話は「軸」が恐ろしく明確で、分かりづらいってことがありません。学者気質というよりは、性格かな?
それとも、訓練とスタイル? それとも、それら全部でしょうか。


力尽きたので今日のところは、この辺で。
また、明日です。