「ウォールフラワー」
「今日は日曜日だし、エマ・ワトソンを観に行こう」と思い出かけてきました。ヒューマントラストシネマ渋谷。寒さも骨に来るほどになりましたね。「ブリングリング」の「虚無的」な役柄とは反対側の役っぽいので、較べてみたくなったわけです。
友達もおらず内気だった男の子が、学校の奇天烈な先輩姉妹とふとしたことで仲良くなり、その妹先輩を好きになることで、「学校のどこへ行っても壁の花」だった人生に変化が起こっていく。仲間も出来て、世界は「正常」になっていたかにも見えたが、彼らは先輩。先に卒業していってしまう……
上は時間軸で話を押さえているだけで、あらすじとしてはまぁ間違っています、が気になさらずに。観ながら、「こんなにナイーヴな映画はいつ以来だろうか」と考えていました。「スタンド・バイ・ミー」? 何十年前だよ。それくらい、触れただけでどこか傷をつけてしまいそう。
主演のローガン・ラーマンは、その「ナイーヴそのもの」を見事に体言。先輩姉妹役のエズラ・ミラーエマ・ワトソンも、本当に見事に「そのもの」という感じ。役者の力というのはスゴイものです。三人の力で、ただただ傷つき/壊れやすい世界を、最後まで運んでいききました。
この映画は「テープレコーダーの時代」を映しているのですが、自分で編集したテープを特別な相手に渡すという習慣を取り上げています。映画中流れる曲は、とても重要な要素を担っているはずなのですが、それは無教養の私には触れることが出来ない部分でした。残念。
しかし、なんともまぁエマ・ワトソンの美しいことね。初登場シーンで思わず「お」と声を出してしまいました。ゲイの兄・エズラ・ミラーと兄妹なんていう設定は、キレイすぎて、フィクションでなければナンセンスというレベル。スクリーンで観れば、目に楽しく素晴らしい。
恐る恐る、つらくて悲しくて、少し嬉しくて。多くの人にとって「他人事でない我ら」を描いた映画で、個人的にはとてもステキな映画だと思いました。そして、思い出のカーテンの向こう側にいるようなエマ・ワトソンは、ほんとに魅力的。行った甲斐があったな。

ゼロ・グラビティ

「ぼくのかんがえたぜろ・ぐらびてぃ」。ジョージ・クルーニーサンドラ・ブロックが宇宙空間で作業をしていて、事故に巻き込まれてすごいトラブルなんだけれども、なんとか地球に帰ろうと懸命な努力、途中どっちかが死んで(多分ジョージ・クルーニー)、それでも頑張ってなんとか地球に生還する、という話。


本日の映画は、「ゼロ・グラビティ」。渋谷TOEI。3D版が観たかったので、午前中に家を出ました。まず素晴らしいオープニング。360度広がる空間、巨大な宇宙、宇宙服姿の「三人」と、とても冷めた宇宙。この映像を、このスクリーンサイズに閉じ込めて良いのか、と真面目に思いました。
先に書いてしまうと、私はこの宇宙空間で作業しているオープニングのシーンがとてもとても好きで、本当はトラブルなぞおきずに、1時間半ずっとこれで良いと思っています。あぁ、宇宙で人が作業するってこういうことなんだぁ、とポカンと口を空けてぼーっと、ずーっと観ていたかったです。
映画のストーリーと言えば、「ぼくのかんがえたぜろ・ぐらびてぃ」そのまんまなわけだったのですが、こんな当たりさわりのない内容でも、本当に素晴らしい映画でした。科学、技術、冷めた宇宙。人間、ユーモア、冷めた宇宙。主人公は真の意味で宇宙。そして時々人間。地球と、遠くに見える太陽と、「冷たい方程式」。
映像に関して、私は知識もなくそれを評価する能力を持たないのですが、単純な感想として「スゴイ!」。「映像がすごい」という宣伝文句はすでに陳腐なものとなってしまっている気がしますが、実際の意味でそう思いました。この映画が生まれて初めてかも。
実際に「主役は宇宙」と胸を張る映画ですから、それで当たり前なのかもしれません。が、それでも最後のスタッフロールで大きな拍手を送りたくなりました。どういう言葉で表現すれば良いのかわからないのですが、一番近い感情だと「おめでとう」でしょうか。なにがおめでたいのだか、分かりませんけれど。
さいころ、なんとなく宇宙のことは好きでした。少しはSFを読み、そこは科学の進歩に伴って、当然人間が支配してゆくべき地域だと勝手に思い込んでいました。幼い頃に、当然のようにそう思っていたことなど、この映画を30分くらい観るまで、すっかり忘れていたのですが、そのことを完全に思い出してしまいました。
宇宙から、帰ってくる。本当にただそれだけの映画です。政治信条も、人間讃歌も、未来への警鐘も、何もないありません。そうであるがゆえに、完璧だと思いました。私は完璧と評価したいと思います。

鑑定士と顔のない依頼人

渋谷に上映館がないので、新宿武蔵野館まで足を伸ばしました。監督は、「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ。「海の上のピアニスト」とかも監督なさった方のようです。
超一流の美術鑑定士、バージル・オールドマンのところに来た査定依頼。資産家の両親が残した絵画や家具はあれど、依頼人は一向に姿を現さない。大いに腹を立てながらも、受話器越しに流れる若い女性の声に振り回され、彼女のことが気になって仕方がなくなってしまう…… 
ヴァージル・オールドマン役の、ジェフリー・ラッシュの演技がとにかく強力で、眼が離せませんでした。オールドマンが歩く、オールドマンがしゃべる! 勝利も、苦さも、「総て自分のものであるという」ような圧倒的な存在感。好きになってしまいました。
ストーリーはおそらく「完璧」に近い印象。監督が自分で撮りたいように書き、とてもうまく行っていたように感じました。「ミステリー」と呼ぶには謎がなさすぎますが、「一つの物語が持つべき要素」を十二分に含んだ出来栄え。
こういうのなんていうのー、「極上」? 書いててくそ恥ずかしいな。思わず赤面なんでこれはやめ。何度でも反復可能な、実に汁っ気たっぷりのお話でした。いまだに思い出しては、自分好みの答えはないもんだろうかと探していたりもするのです。
「現れない女性」役のシルヴィア・ホークスがとてもきれい。60代の男性が恋するにはちょっと若すぎる気もしますが、まぁ情熱の国イタリアの監督さんだからね。ありなんだろうね。
本当は色々書きたい気もするのですが、なんだかうまく書けなくていろいろもどかしい。そういうことも含めて、とても良い映画だと思います。年末のカップルで出かけるのにピッタリ。観た後で、上手に会話が出来なくなること、請け合います。

確かに寒くなってきたので、とうとうダウンジャケットを出してきました。それを着て出かけた本日の映画は、「ブリングリング」は渋谷シネクイント。ソフィア・コッポラの映画は初めて観ます。


裕福な家庭に育ったマークは、前の学校ではうまく行かず、一年の「自主学習」の後に、新しい学校へと入学する。その学校でも「イケてない」とバカにされるが、そこでレイチェルという女の子に声をかけてもらい一緒に遊びに行くことになる。二人は好きなファッションやブランドについて話が合い、仲良くなる。
ナイトクラブに出かけたり、夜遊び歩くうちに仲間も増えていく。ある日、パリス・ヒルトンがベガスでパーティーをすると知ったマークとレベッカは、パリスの自宅周辺を地図検索サービスなどで調べて、彼女の家に侵入する。侵入は意外にあっさりと成功し、そのついでに彼らは「戦利品」を持って帰ってくる。
成功は次の成功を要求する。彼らの「侵入」は、徐々に他のセレブ邸にも広がっていく。彼らは、やがて「ブリングリング」とマスコミによって名づけられ、最後は「セレブ邸を狙うティーンエイジャーの窃盗犯グループの逮捕」という形で幕を降ろす……


何が変かと言えば、これがうまく説明できないのですが。ソフィア・コッポラは、レイチェルやニッキー(エマ・ワトソン)たちの「馬鹿げた昂揚」を淡々と撮っていて、むしろ「普通」というべきでしょう。この映画は実際にあった出来事に基づいたものでもあり、過剰になりすぎないようにとの配慮もあるのかもしれません。
では何が変なのか。思い当たるところを一つ言えば、この映画徹底的に「今」だけを書いて、「過去」のことも「未来」のことにも、全く触れようとしないということでしょうか。スマートフォンで写真をとり続け、始終フェイスブックの更新に熱をあげる姿。「今はそうなんだろう」と思います。
窃盗というおおそれたことをしながら、毎日家に帰って自分のベットで眠る「普通のティーンエイジャー」である主人公たち。それを観ながら、私は良いとも悪いともなんとも思わず、「今はそうなんだろうな」と思っていました。そして、画面からもそういう空気しか感じませんでした。
監督たるソフィア・コッポラのため息すら。無思慮を通り越して、凄惨と呼んで良いような彼らを、真っ直ぐ描くことを選択しているのだと思います。「その結果浮かび出るものがある」というようなことすらありません。ただただ、「今はそうなんだ」と息を殺しながら撮っている。
そういう風に感じられるのが、「変といえば変」でした。ドキュメンタリーではないので、ソフィア・コッポラの言いたいこと、言えること、沢山あると思います。過去を探ることも、未来を付け足すことも当然できたでしょう。それなのにただ、「息を殺す」ことを選択したのは、
一体なんでなんだろうな、と帰りの電車で考えていました。正直なところ、この「ブリングリング」たちの気持ちは私には理解しがたいです。私は彼らが欲しいようなものが、全く欲しいと思えず、もはやティーンですらなく、彼らの「今」に完全においていかれています。
インターネットという黒い闇に、彼らはほとんど食い尽くされているように私には見えます。その姿を観れば、怒りも湧かなければ、ざまあみろとも思いません。同情もなければ、反発心もなく、ただただ途方にくれるばかりです。
ソフィア・コッポラは42歳。私の三つ上です。彼らのことを知り、映画にしようと思った時にどう考えたのでしょうかね。案外、私と同じように途方にくれたのでしょうか。だとすると、大いに納得の行くところなのですけれど。

・「フィルス」
ジェームズ・マカヴォイ主演。「トランス」に出ていたのを観て以来だから、最近良くみかける感じに。
ドラッグムービーなんだけど、映像的な面白さはそれほど追いかけてない。ほとんど自滅同然に追い詰められていくマカヴォイがなかなかチャーミングで、それで二時間が終わるという、なかなかストロングスタイルな映画でした。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/movie/2013/11/post-3106_1.php
(いかれた『フィルス』の愛すべき世界:ニューズウィーク日本版)
http://www.webdice.jp/dice/detail/4031/
(『フィルス』ジェームズ・マカヴォイ語る「ブルースの内部にある脅迫感をそのまま演じようと思った」:Web Dice)


俺はこの話があんまり「いかれている」とは感じない。もちろん表現的にはすごくオーバーにはなっているんだけれども、「まぁそういう感じの時もあるよね、人間だし」となる。特にこの映画の場合は、壊れていく理由が実に人間的であるので、なおさら。
別に分かりにくい部分というのも無いので、「ジェームズ・マカヴォイがぶっとんだ悪徳警官役を熱演」と言われると、そういう映画じゃないよなぁと思わざるをえない。まぁ、宣伝的にはそこを拾うしかないのかな、とも思うのだけれど。




最近では、「かぐや姫の物語」→「REDリターンズ」→「フィルス」と観ついできました。本日は、「フィルス」で渋谷シネマライズジェームズ・マカヴォイ主演。この前「トランス」に出てましたよねー。という感じですが、あごひげがあって全然印象が違いました。
ドラッグムービー的な要素もあるような気がするんですが、映像的な面白さはそれほど追いかけてないか。ほとんど自滅同然に追い詰められていくマカヴォイがなかなかチャーミングで、それで二時間が終わるという、なかなかストロングスタイルな作りでした。たまにはリンクを張ってみようかな。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/movie/2013/11/post-3106_1.php
(いかれた『フィルス』の愛すべき世界:ニューズウィーク日本版)
http://www.webdice.jp/dice/detail/4031/
(『フィルス』ジェームズ・マカヴォイ語る「ブルースの内部にある脅迫感をそのまま演じようと思った」:Web Dice)
私ははこの話があんまり「いかれている」とは感じません。もちろん表現的にはすごくオーバーにはなっているんだけれども、「まぁそういう感じの時もあるよね、人間だし」。特にこの映画の場合は、壊れていく理由が実に人間的であるので、なおさら。
別に分かりにくい部分というのも無いので、「ジェームズ・マカヴォイがぶっとんだ悪徳警官役を熱演」と言われると、そういう映画じゃないよなぁと思わざるをえません。まぁ、宣伝的にはそこを拾うしかないのかな。一言だとどういう映画ですかと問われれば、確かにそれなのか。
「トランス」は今年観た中でもかなり好きな映画ですし、今回もなかなか魅力的だったので、私はどうやらジェームズ・マカヴォイが結構好きみたいです。一つ見つけることができると、少し得した気持ちになれますね。